変化日記(2)

今年はなにかいろいろな変化があるようなじわじわくる予感です。5次元ライトボディなるものを遊び半分で習い始め、占星術を習い始め、今の星が自分にどう影響あるのかとか記録につけておこう。独り言の覚え書き。

ちょっと立ち止まって、自分のお腹のほうへ降りてゆく。だあれもいない。そこを確認する。木でできた机と椅子。座ってみる。私にちょうどいい。わたしがいままでそこに座っていたかのように、くせがついている。すっぽりと納まりがいい。ノートとペンが置いてある。なにから書こうか。ここは静かであたたかい。意識がとぎれる。よばれているみたいだ。M子さんはピアノをかうのだろうか。たぶん買うだろう。ピアノの音が部屋に響いている。自分がおかしくなってしまったのではないかと、こわがるのはよくわかる。いつも怖がっていたとおもうから。でもだれがおかしくなってしまったと思うってか。友人や家族。おかしくなったと思われるのがこわくて、たのしいことを止めてしまうのか。みんなやっていなから。まわりをみわたしてまわりの目で、自分をみている。自分の目で自分を見ることをしないで。目は便利な器官ではあるがそれに頼りすぎてはいないか。なにか大事なことを置き去りにしてはいないか。目にうつして脳に描き出す。脳はいままでの経験でなかなか信用がおけない。脳〈エゴ〉の都合のいいように情報を置き換えてしまうからだ。目を閉じたほうが書きかえようのない情報が、お腹に流れ込んでくる。そうだな、それを書きとめるだけ。水平線。波打ち際?遊ぶ子ども。遊ぶことにも制限をかけられている。もう夢中で遊ぶことができなくなっている。帰る時間、汚れないようにする靴。服はぬれすぎちゃいないか。夢中で遊んでいると必ずおこられる。楽しくないおとなは、あともさきも考えず夢中で遊んでいるのを見るのが許せないのだ。波の音。聞いてる。感じてる。音と共に空気がゆれる。その感じとても心地いいの。無限の音の波。服に髪に顔に、風がぶつかってくる。風のにおい。砂と潮の味。今日、ラジオでいじめの話をしていた。いじめていた子からかばった子をいじめた子がいる。すごいな。自分のみにくさそんなに見たくないのか。たすけた子は投稿者自身の子で、殴られて赤くなった背中をSNSにアップしていた。子どもを誇らしげに思い、なおかつこの世のいじめから目をそらすな。と。わたしも親にそうしてほしかったな。4年の時あまりはっきりしない理由でいじめられていた私は、ただ黙って受けていた。クラスの3、4人くらいの女子。あるひ帰ってこない私を学校へ迎えにきた母はいじめに気付いたようだ。先生にも話したらしい。でも、二人とも直接、私には一言も、なにも、言ってこなかった。私からも何も言い出せなかった。いじめのいの字もなかった。5年生のクラス替えで気付く。先生は私が誰にいじめられていたのか知っていたのだ。なぜなら、不自然なほど前のクラスの子がいなかったから。知っていたのに、先生も親も、なんにも私に声をかけてくれなったというのが、なぜの嵐。わたしはもう親になにもいうまい。言えることはない。と思った。わたしに、妹にも、か。寄り添う。ということのない親だ。たぶん恐いのだ。月に蠍座があるくせに。見えない重いものはいくらでも無言で背負わせるくせに、なにも、言わない。それは今も。重いものは親に返されている。私はどうすればいい。もうあんなもの背負わないよ。でも重いものは子どもたちに残したくはない。

いじめをする子はとても年老いて見える。大人の顔をしている。その子の親はその子に大人になるのを強要してきたのだろう。だから大人の顔をしていじめている。大人は決して偉くもすごくもないのを知っているのになぜ大人は子どもにはやく大人になるようにと強要するのだろう。こどももそれを知っているのに。いや、知ってしまうから、自分のゴール地点を見せられて、これかよ。って思って、でもそこに同化せざるをえないと知ってしまうからか。こどもは大人に絶望している。拒絶して引きこもった子は、やがて大人と同じ顔になってしまい、そんな自分にさらに絶望してしまう。

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