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What is essential is invisible to the eye.


こんにちは。
こんばんは。
久しぶりにノート更新。
私のノートの更新を待ってくれる人が1人だけ居るので(笑)定期的に更新しようと😌

確か2年前くらいかなぁ本を読む時間を大事にし始めてから数年経った時【愛するということ】という本を読んだ!

人はみんな孤独で愛を求めて生きていて、
愛する技術を身につけることで、能動的に愛することができる。だから、愛は与えることから始まるんだ。
色んな学びがあった本📕
そして、その時何度も自分のターニングポイントのタイミングで読み返して、理解して、その時々の解釈をしたいなぁと思ってて、今そのタイミングなのかなぁと思ってた。

でも、本が日本にあるからなぁ笑

と思って、
1番に尊敬している私のお姉ちゃんの卒業論文を読み返しました。。
ほんとに凄いなぁ、、気持ちを表現したい時にそれ以上の言葉が見つからなくて言葉にならない時って私的に凄い悔しいんだけど、その感覚。。

言語力がないって言う言葉に逃げたく無い。
でも、ほんとにすごい以上が見つからなかった。
印象的な言葉とか学びの部分を引用して、自分の経験と照らし合わせ、より自己理解を深めようと思う。

孤独を感じる経験が人間性を高め、人を愛する技術の習得に繋がる。考え方や価値観は個々に異なり、他者の感情を全て理解することは不可能であることは100も承知。だが、他者の気持ちを少しでも理解しようと働きかける時、人は自身も他者と同じ経験をすることによって、他者の傷みや苦しみに同じ目線で寄り添うことができる。深い孤独に苦しんだり、自分の弱さに向き合ったりした人は、同じ状況に置かれた他者を受け入れることができるからである。

▶︎ 愛することだけではなく相手を思う思いやりとか優しさとかにも言えることだなと思う部分で、自分の人生の中で大切にしたいというか常に意識して生きていたいと思うことのひとつ。
何か自分の身に起きた時、それがどうしようもなく辛いことだったり、胸が張り裂けるようなことであったとしても、その気持ちを感じられたという経験が、誰かのために生きることって必ずあると思ってて、いつもそういう時に
[辛い経験は自分のためにも相手のためにもなることだよ]っていう母の教えを思い出してる。

今まではそれを経験とそこからくる想像力でそういう力は培えると思っていたけど、この文章を読んで自分の弱さと向き合うことからも生まれるのかとすっと心に入ってきた。
人は強くないって思ってるし、自分自身も弱いところが沢山あると理解していて、その弱さをどう強みに変換するかを考えて生きてきた。
そして、そういう弱いところがあっても良いという自分に優しくする生き方を知った。また、経験から自分の弱みに気づいたりもして、その繰り返しの中で他者をより寛容に受容する力が身に付いていたのかもしれないと思った。それが結果として愛する技術に繋がっているのかもしれないなぁ^^ぷぷ

【自分の大切にしたいものは何なのかを見つめ、心に据えた上で、他者の価値観を新たな知識として捉える強さを身につける必要】
▶︎何かを判断する時、だれしもが自分の判断基準に基づいて決断してると思う。それが他者からの助言に背中を押されたりとかすることはあっても、それを最終的に決断しているのは自分なわけで。
だからこそ、大事な判断をする時に自分の軸、どういう人間でいたいのか、大切なものは何なのかを常に意識して考える時間を大切にしてる。そして、それを言語化して落とし込むことって大事だなって思ってる。ただ漠然と思っていても、それが現実にあった時に見過ごしてしまう可能性があると思うから。
今までのわたしは上記の考え方が強すぎてた。多分そう。笑だから、他者の価値観を新たな知識として捉えるというよりは、なぜそう捉えるのだろうと自分の価値観と比較して疑問を抱いたり、時には批評的に思ってしまったりしてた。🦥
でも、オーストラリアに来てからそう言うところが本当に少なくなったなと自分でも思うし、それはまたその人なんだな。新しいなぁ。他者の価値観の軸を別の場所に立てて理解するという術を得られた気がしてる。
それは私の中では一種の柔軟性なのかなと思っていたけれど、強さでもあって、そう言う強さが自主自立を生み出しているのかなと理解した。
それが次の文章にもまた繋がってて、
孤独を克服しようと悩み、考える過程が、その人を強くすること、そして克服するための術は、自主自立した上で生まれる愛であることを語っている。】
ここ数年新卒を経験し、臨床を経験し忙しい毎日の中でもやっぱりより近くで過ごす人(愛する人)を求めていたのは事実で。。でも中途半端に人を愛することはできないからこそ人を傷つけてしまったこともあったし、逆に傷ついたこともあった。
でも、いつも愛する家族に幸せを常に諦めず!幸せになるために生まれてきたんだからね!と言われ続けて、克服しようと意識していたし、考える過程を大事にしてた。
自分自身で強くなってるなとか感じることはなかったけれど、より自己理解は深まったし、自分のぶれない軸がそこにあると言う意味では自主自立を生み出していたのかもしれない。
そう言う意味では自主自立があってこその愛を育む技術ってすごく納得できるな。

孤独という感情の中に置き去りにされて、誰かに愛してほしいと思う時こそ、自分は人を愛せているのか自問自答し、自らその行動を起こす強さも必要になる。
その強さは、孤独に打ち勝ち、他の誰でもない自分を愛すること、それが真の孤独の克服に繋がるのではないか】
▶︎孤独を感じる時誰しもが愛されたいと願ってしまうと思うのは自然な本能だとして。でもやっぱり、自分がしてもらって嬉しいと思うことを受動的に待ち続けて、それが叶わなかった時に他人のせいにしたり、相手は自分のタイプではないとか理想ではないと決めつけるのは違うなと思ってて。
誰かに求めるならまずは自分から働きかけること。
鏡を見てどんな自分が映し出されてるのをしっかり見つめるのことが必要なんじゃないかなって。
そこに確固たる確信がなくても、行動できること、相手に積極的に働きかけられること。それって本当に強さだなと思うしそう言う強さを持てる努力をしなければ、いつまでも幸せに気づきにくかったり、愛を理解できないまま歳だけを重ねてしまうのかもしれない。
そして、そう言う働きかけをできる人間は他の誰でもない自分自身を大切にできているし、自分を愛するというそれをきちんとできている。つまり自主自立の存在である。

今、幸せを噛み締めて生きていられているそれが
積み重ねと経験であり、
築いてきた自分という存在の人生そのものなのかもしれない。。

感謝。ほんとに。心の底から。
だからこそ、相手の人生にも感謝。出会ってきてくれた人も、周りの大事な人にも。これまでの足跡にも感謝👣


未奈実

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