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240607_大概忘れ去るものだ

生きていると楽しいこと辛いこと両方ありますが、時折、過去を振り返って両方の記憶を思い出したところでそのときどれぐらい楽しかったか?、辛かったか?ということを完全に記憶上で再現することはたぶんないように思うのですが。例えば痛いという体験をしたとしても時間が経てば、その痛みそのものを思いだしているわけではないですよね。

そういう風に出来事や現象を見ていると、全ての出来事や現象はやがて記憶となり忘れ去られるという感じになるでしょうか。

なので承認欲求を満たすために不特定多数から自分に対する視聴率を高めたとしても、それはやがて儚く消えてしまうということです。
【それ、誰だっけ?】と。
なのでそんな儚く消えてしまうことに何故、人類はこうも時間を費やしているのか?と思うところがあります。

会社で仕事が出来ることを周囲にアピールするよう行動したって、やがて仕事が出来ることなんか周囲は忘れ去りますよ。
【私は有名人と沢山の繋がりを持っている】と自慢したところでそんなことは多くの人はすぐ忘れ去ります。
他人に自慢するだけ時間の無駄ではありませんか?
と思うんですよね。
学歴が凄い、頭の回転が速い、高い年収ステータスがある、過去、最高益・・・それが一体何になるのか?って話です。

現実ってのはあくまで自分だけの世界であって、その世界に主体性を持つべき人物はあくまで自分です。
ですからその世界で起きた今日一日の出来事をしっかり体験したか?ということに意味があって、他人を強引にまきこんで承認欲求満たすことに意味はないでしょう。
満たされた欲はまた乾いていく。
いつまで他人の視線を獲得する生き方に時間を投入しているのか?って話ですね。

ということで時折、自分が周囲に対して無理矢理アピールしていることは時の経過とともに誰も覚えちゃいない出来事になるので、人生っていう貴重な時間を儚く消えるものに費やさないことが大事です。
そしてそういうイイねを沢山もらう行為の承認欲求を満たすことは人生の早い段階で無意味、無益、几帳な時間のただのロスと氣が付いたほうがいいでしょう。

ヒビキアマカム


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