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230903_肉体を基準として見た世界はパラパラ漫画

時間ってそもそも何なのか?

社会の中だと全ての人間に対してたった1つの時間という統一的な指標があるわけですが、この統一指標的な時間が社会時間以外のプライベート的な時間にかなり侵食することに成功していて仕事などに従事していないときでもたった一つの社会的な時間が生活の中に組み込まれるようになっています。

こうなってくるとそのたった1つの時間を操作できる支配できるものが不特定多数の人間を操作することが可能となることは何となく想像がつきます。

自分が思うに何となく【世界の中心点は自分の肉体である】という基準を持つとこのたった1つの時間というものはいわゆる【時点】というゼロ次元的な点を繋いで1次元的な1本の直線的な線のように見えてしまうなーと感じていて。
しかし、点はどうやっても点でしかないので、点と点を高速で繋ぐような感じのシステムを置くと点と点の間隙を素早く乗り越えてあたかも直線を移動しているような感覚となり、これが過去から未来へと流れる直線的な時間体系の錯覚を作っているのではないか?と思っています。

もし、そうであるなら世界にたった1つの直線的な時間しか流れていないと思い込んでいる人間の世界は【パラパラ漫画】、と言えるのではないかと思います。

パラパラ漫画の現実世界というのは実在していない世界であることは明白で。だってパラパラ漫画ですもん。

パラパラめくっていく紙の途中に欲しい物質とか出会いたい人間関係の絵を挿入していくとページをめくっていくといつかそういう物質が目の前に出てきて、いつかそういう人物との出会いを果たし・・・というパラパラ漫画ストーリーが作られることになりますが、これが恐らく引き寄せの法則とかに関係している部分ではないかと思います。
望むパラパラ漫画内容を見れる点ではとても満足するかもしれませんが、以前として実在しない世界に存在していることは確かですね。

世界はパラパラ漫画であるという構成を作っているのは【私は肉体である】という思い込みによって作られる仮想世界です。
ですから、【私】という基準を肉体以外の視点に変えると当然、パラパラ漫画の現実世界とは異なる世界が現れることになろうかと思います。

クリスタル・フラーレン


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