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230715_情報量が多くなると破綻の方向に向かっている?

現代は情報が増加している傾向にあって。

インターネットの中には続々と情報が増加して次々と言葉や文章、情報が増えています。

そのような増加傾向にあるのはどの分野でも見られることですが、例えば医療分野などを見てみますと、心療内科とか泌尿器科とか神経科とか色々な科があって、そこに専門家が配置されているという状況ですが、人体を細分化して専門分野に分けてさらにその専門分野に関する学術的な話もワンサカあってそこにその専門分野だけで通じる専門用語なんかがあるわけです。
人体という1個のボディに関する知識を細分化しまくった結果が現代にあるわけでして。

こういう細分化、枝分かれが異常に起きているということは1個であるものに還っていくための統合作業、纏めていくという行為が大変難しくなり、もはや統合していくことが不可能な状態となっているとも見れます。細分化したらわかってくると思い込んでやってきたところ、細分化した結果、全くよくわからなくなりましたということになっています。

そして細分化されまくった分野を今度は認識していく人間も減っていく方向に進んでいまして。そうなると今度はそれを機械に学習させるという方向になり。そして人工知能が出てきますが。そこでは纏めて統合していく精神が全くないのでその細分化されまくった分野はいつしか消滅することでしょう。
・・・と情報量が多くなり人間の手に負えなくなってそこに人工知能が投入されるということがどこにでも起こりつつあるわけですが、それは結局のところ、人間が作りだした世界が消滅していく流れに入っていると見てとることも出来ます。

人間が観察できないものは消えていくというのがありまして。

情報量が多くなると何もかも著しくレベルが退化しているなーと思うことがあります。
仕事でも色々な人が色々な分野に携わっていると思いますが、そこに必ず後継者問題というのが発生して、その後継者に如何にして問題なく前任者のやっていた仕事を引き継ぐか?というのがあります。
その引継ぎに対して一般的にはマニュアルという文字の羅列で対処していると思いますが、文字にすると前任者にやっていたことが膨大な文字数になるケースがあります。
文字が膨大になる時点で、適切な引継ぎという観点からしたらそれは相当なダメな引継ぎと見るのが普通です。

この点、昔の日本は文字に頼らない引継ぎを行っていたところがありますが。この辺りはやはり非常に高度だなと思うところがあります。そこに精神も一緒に宿りますからね。
膨大な前任者の仕事に関する情報量を身体のほうにそのまま畳み込んでいますから。

こういう視点で見ますと古代のほうが文字数というものが少なそうに見えるのは何となく現代よりも高度な情報伝達手法があったと推測します。

阿吽の呼吸とか言いますが。あうんという3文字で意味が凝縮されてますけど。現代だと【あうん】って何?と聞かれたら、言葉で説明するわけですから無駄に文字数を使うことになります。
こういう状態は人間そのものが退化の方向性に走っているなーと思えます。

クリスタル・フラーレン



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