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240605_違っているものを認識することで

最近、身近にある環境から少しでも異なる環境の風景を味わうようにしています。

思うに似たようなもの、同じようなものに囲まれているときはそれはそれで平穏なのかもしれませんが自分というものを一層際立たせるものはないように思います。

自分が自分と認識するには、自分と異なっているものを認識する機会が多く訪れる必要があると思っているのですが具体的には他人と出会うことがそれだと思います。自分と異なる生命体を見ることで【違っている】と他人から認識されるしまた自分はそうのように認識するし、その違うという認識が【私】という認識を強めているように思います。結局、【私が私である】ためには【私とあなた】という関係が必要になるということです。それは他人と出会っていくことだと思いますが、その他人を見て自分と違っているところ、同じところを何氣なく日々、無意識に認識しているのが私です。
意外にも人間が自分1人で何かを認識できるか?と言うとたぶんほとんど何も認識できなくて何かしら自分を自分でないと思っているところに映す対象が必要となります。その映すものが他人であったりモノであったり情報であったり風景であったりするものです。とここで映すと言っても自分の全てを映しているわけではなく自分のごく一部を映していることに注意が必要です。
ですから目の前の他人に自分の一部が映されているものの、全部を映しているわけではないということです。

似たようなビジョンや思想を持っている組織集団で働いていたりするとたまに【自分が何しているか不明】ということが起こり得ます。これはたぶんですが、似たような思想集団に入り込んでいるからで自分と違うものが見えにくくなっているところから来ているのではないかと思います。
なので自分が自分であるためには似たような思想人間に会うのも大事ですが自分とは一風異なる思想の人間に会っていくことも非常に大事であると思います。

これは人間だけでなく地域などでも同じ話です。

近くてほとんど意識を向けなくなっている隣町に繰り出したりすることも違いを発見するまたとない機会となります。そのような街並みを歩くということは全身を使って自分のいる場所との違いを感じさせるものでインタネット上で知るということとダントツに違う体験となります。自分を新たに発見するとても良い体験になると思っています。

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