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220923_海外志向の人達

自分の周囲には海外志向の人達が結構います。

自分は大して海外に憧れとか抱いていないんで割と【今いるところ】【今いるところの近所】ぐらいに意識が向くのですが、かく言う自分も以前は人の少ないローカル地域のハワイはいいなーと思っていました。今も思うところがありますが、それ以外のヨーロッパとかは言うほどまた行きたいところとは思えませんでした。まあ誰かが組んだパッケージツアーぐらいのものしか行かなかったのでその程度のものにしかならなかったとも言えると思います。

んで英語とか外国語をペラペラ話せる人を見て羨ましいと思うか?と言うと大して思ってないところもあります。日本人同志が日本語で会話しても深い会話が出来ているか?と言うと稀ですし、何か話しても案外、伝わっていないことのほうが多いのでそんな状態で外国語話せても一体何になるのか?というのがあります。必死のボディランゲージのほうが相手に何か深めの意図がかすっている可能性がありますよね。勿論、ビジネス上で習得が必要な場合もありますから、そういう時は外国語はやはり必要なものですよね。

伝えるのも伝わってくるものを受け取るのも、そこに【自分】と言うものがいて。じゃあー全てのシーンの核心にあるものは自分のような氣がしていて、自分が自分の浅いところ、深いところに触れていることが出来ないのなら海外行ったところで浅いところ、深いところに触れることも出来ない自分が海外に行って異文化を体験しに行っていて結局、浅いところ、深いところに触れることも出来ないあまり大して変化しないでいる自分が日本に帰ってきても変わらず在るぐらいものと思っています。海外で変化することを期待して行って戻ってきたけど変わっていない自分がいて海外経験を得意氣に話す自分が誕生しているだけでした・・・となりそうですよね。なので海外に意識が向かないところがあります。

海外滞在歴が長い人が海外滞在したことのない人に経歴を話したら、海外滞在したことのない人はその情報だけで【凄い人】と思ってしまう現代人特有の浅はかさもまた散見されることから、他者に凄いと思われるためにもまた行く必要はないなーというのも海外志向でない理由の1つにあります。

年齢を重ねて、自分の過去遍歴を話し自慢できる相手がいるうちはまだ良いですが、その話す相手が年齢的にもいなくなり、話す相手も耳が遠くなり聞き取れなくなる相手しかいなくなったとき一体何を思い何を感じるのでしょうか?虚無感というものに直面するのではないでしょうか?言葉で虚無感と書いていますが、虚無感という1つの感じと言いますか感覚というのは結構、壮絶なものですよ?あまり舐めないほうがいいと思います。そのことを考えると、今の自分を無理に脚色してしまうような体験を行うよりは自分、そして自分の近い距離にある環境や人間をよく見て感じて触れていったほうが良いのでは?と私は思っています。

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クリスタル・フラーレン

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