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230507_直線的な思考が退化を促している

これは非常に当たり前のことなので、そもそもが不自然ということに氣が付かないところがあるのですが、我々は物事を理解するのに必ず順を追って解釈する手法を使っていますが、この思考方法が実は退化を促しているのではないか?と思うようになりました。

ここで言う直線的思考とは、例えば本があって文章がツラツラ書かれていますが、その文章の1文字1文字を順に追って書かれていることを理解しようとするごく当たり前に日常で行っている脳の使い方です。

文章の最初の1文字と文章の最後の1文字を理解するまでにはタイムラグがありますけども、この状態がいわゆる1つ1つ視覚情報として取得して脳がその取得した1文字1文字を繋げて解釈している状態です。
これは非常に原始的な脳の使い方であるかなと思います。
全体をそもそも把握できるのかアヤシイ脳の使い方でありますし、非常に全体の把握が遅い脳の使い方になると思います。

常に脳が解釈しているのは部分なので、部分をまとめている全体を一氣に脳が解釈することが出来ないという状態を当たり前にしているんですね。脳の中に入れるのは常に部分という小さな容量の情報です。小さな容量の情報だけしかキャッチしていなかったら当然、脳はそれが普通の状態になり膨大な情報をキャッチするのが困難になります。

そうなると当然、人類はテクノロジーを発達させて機械に脳よりも速いスピードで物事を処理させるようになるでしょう。しかし、ここで開発されて完成される機械も当然、直線的理解を高速にしたものとなるので機械の元はあくまで高速直線的情報処理マシーンになってしまうかなと思います。
物事や現象は直線的に発生していると不自然な前提を置いてしまうのです。

ということで昔に小さい頃に本など読み書きさせられますが、この教育法がそもそも脳の退化を促すものになってしまうことは否めないと思います。人間の脳は使いようによっては分厚い本も瞬時に把握できるスペックがあると思いますが、これを1文字1文字追っかけていったら現代人だと飽きて最後まで読むことが出来ないし、本の終盤には【あれ?そもそも最初のほうに何が書かれていたっけ?】となって全体を把握することは困難になるでしょう。

イメージで表すなら現代人は情報を線にして把握してますが、これだと非常に効率が悪く脳もうまく使えないので、情報を線にするのでなく立体にして把握する必要があるのではないかと思います。
立体にした情報をそれぞれの面に置いて、全ての面を同時にスキャンして把握する脳の使い方が必要であると思います。
この脳の使い方だと多分、直線的な時間進行に囚われている意識がそこから離脱し始めるのではないか?と思います。

クリスタル・フラーレン


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