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230414_我々は現実しか知覚出来ないようになっている

現実世界を生きていると現実世界以外の世界があるとはよもや知ることはないと思います。
辛うじて寝ている時に見る夢があるので夢の世界というものに意識を向ける瞬間はあると思いますが、さほど関心を持つものでもないのが普通です。

現実世界に意識が没頭するのは、現実世界に体の感覚器官を全集中させているからで。
では・・・その全集中を解除してみるとどうなるのか?

当然、現実世界とは異なった世界が見え始めます。見えると言っても肉眼で見るわけではありません。肉眼は【見る】という概念のほんの些細な一部を物質的に表現したものとして現れているものであるので、当然、肉眼で見える範囲は相当、狭い範囲に限られます。

肉体の感覚器官をいったん休止して内側にある感覚器官を使うと、現実世界特有の直線的に進んでいるように見える時間がいったん停止します・・・知覚されないので。
その内側の知覚を使って自分というものを眺めてみると、時折、自分というものが現れては消えるという瞬間を捉えることが出来ます。

ある/なし/ある/なし/ある/なし・・・みたいなのが起こっていて。

人間はこの【なし】の部分に意識を合わせていないので
ある/ある/ある/ある/ある・・・のような感じで自分が次の瞬間にも在るという状態があたかも連続して続いているような設定を行っているので、今日の自分は昨日の続きみたいな自分となっています。

んであるの次のなしの領域に何があるのか?と言うと。
ここに何かあるんじゃないの?と探りを科学が入れているわけですね。

ある/なしのあるの部分が私たちの現実世界を構成している物質宇宙であるとするなら、なしの部分は反対の反物質宇宙であろうかと思います。じゃーここを科学がこさえる機械で捉えることが出来るのか?と言うと・・・まあ難しいじゃないか?と思われます。
もしかしたら反物質世界は当然あるでしょう、みたいな流れが出来るかもしれませんが。

流れ的には人間はこういう別の宇宙に関しても興味を向けていくことになろうかと思います。
今は大多数が日銭ばっかりを追いかけてお金に執着ばかりしてますけど。そういうのも終わっていくんですね。
終わっていくと言っても誰かが終わらせるのではなく、【意味なかったね~】という氣付きが個人的に起きて、今のような社会に参画するのを辞める人が増えていくと。そういう感じになるのではないかと思っています。

クリスタル・フラーレン


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