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230708_人間と神と・・・見える宇宙と見えない宇宙と・・・

人間と神、物質と反物質、実の宇宙と虚の宇宙、実数と虚数とこう色々、対になっている概念を見かけます。

人間と神なんて概念は昔からそれを目に見えるカタチで人々が表わそうとしてきましたが今一つしっくり来るものがなく。
微笑みながら鯛を手に持っている神様なんてもはや何かの商品パッケージになってたりして、全然、神ちゃうやん!それもはや商品やん!となってたり。

人間ってのは【そもそも出自がよくわかっていない】のと【我々はどこに向かうのか?】という方向性をちょっと見失っているような状態であると思うのですが。
その状態に無理矢理、方向性を付けたのが経済で。経済的な発展を方向性として歩んだのはいいけど、自分たちの住む環境を破壊して自滅していく方向性も同時に歩みだして、ここ最近では【おいおい・・・このまま行ったら地球危ないから仮想的な空間で資源浪費せず経済発展してこうや。そのかわり何から何まで監視するで。】と今度はデジタルテクノロジーを発展させたのはいいが、本来持っていた人間が持つ【精神】というものを自らが歩んでいく方向性とともに失いつつあって人間そのものが機械となり仮想空間上の生命とは言えない何か得体の知れない非生命データになりつつあります。

このような人間の有様を見て、では神様とは一体何なのか?と言うと自らの歩む方向性と終わりなき高次元幾何学的な形態を持ち変わっていく精神性をもつ何かと何となく推測するところがあります。

人間は見える宇宙に、それを実宇宙とすれば、その背後には虚の宇宙が隣合わせで存在しているとすると、人間の時間間隔でそれをもし見たとするなら実宇宙→虚宇宙→実宇宙→虚宇宙・・・と点滅しているように見えて、人間の体は虚宇宙では消えているように見えるのもまた不思議で。
では虚宇宙とは一体何を意味して実宇宙とは一体何を意味するのか?
という話になると、さきほどの神が次元降下して高次元から降りて来る際中に見ている世界が我々が目にすることの出来る宇宙で、人間が神に次元上昇するとき通っていく宇宙が虚宇宙で・・・
と何となく妄想してしまいます。

このような見方をすると人間は進化の方向性を見失う世界と進化の方向性を見出す世界を二つを併せ持った世界にいることになり、選択でどちらにでもいることができるということになります。

ただし肉体を持って見たり感じたりできる世界は実宇宙のほうで虚宇宙のほうは目に見えないのでそちらを認識していくのは【自らの意識を発露】していくほかにないでしょう。

【私は誰なの?】【私は一体どこに行くのか?】と方向性を見失った人間は様々なモノの考え方、見方、味わい方を他者に習って生きてきたので、【自らの意識を発露する】とは一体どういうこと?でどうすればいいの?ときっと思うことでしょう。そこも他人から習おうとするのです。

しかし自らの方向性を見出したものというのは習うということから離れて、まず自発的に【自らの意識を発露しよう】と想起し何かしらの手がかりを掴んで行動していくようになるのです。

クリスタル・フラーレン


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