230118_他人を諭して解らせるのは無理
自分と他人が同じ空間にいるように見えて実はいなかったりします。
自分と他人は物質をある程度まで同じに見えることにしておきましょうという前提を置いて物質を現実世界を眺めているところがあります。ですから自分と他人の目の前に一本の木があったとしてもある程度までは視覚的に同じように見えて実際のところは自分と他人が見ている一本の木は異なるものとなっています。
ということで自分と他人は一緒に空間に存在していると錯覚しているところがこの現実世界です。身近な例だと夫婦である夫と妻が1つ屋根の下で暮らしていても実際のところは1つ屋根の下などで暮らしていないことになります。あるのは1つ屋根の下で暮らしているというなかなか醒めることがない錯覚です。
こういう錯覚を無かったことにして暮らしているのが現実世界ですので、当然、見るものの印象、考え方などは細部で個々で違うのが当然となります。これを無理矢理、統一しようとする試みがなされていますが、正直、そんなことを意味するはないと思います。
見ているものがもともと同じ部分もあれば違っている部分があるのですから、自分の意見が正しいとして相手を諭すということは相当、無駄な行為となります。人間は社会というものを作りそれを運営していくために共通のルールというものをさらに作りましたが、それはあくまで社会の中で便宜的に設定されたルールになりますので、それが正しいというわけではないということになります。
多くの人は普通は正義と平和な思想を好み、悪とか腐敗をあまり好まないとと思いますが、だからと言って正義と平和な思想が正しいというわけではありません。たまに正義と平和の思想に染まった人が悪を糾弾し、諭すようなことを叫んだりSNSで主張していますがあまり意味のあることではないと思います。個々がそもそも違った世界、空間にいるのであってそういうことも理解せずに他人を正すということをやるのはエネルギーの浪費にしかならないでしょう。
風潮・時代で特定の行為が【あるべき】【正しい】となり、それにそぐわない行為が【間違っている】とか【他人を思いやらない行為】となりがちですが、互いを非難しても他人が直るわけではないのでただの悪口放出にしかなりません。
違っているものはよく見て放っておけ
という感じになりますかね。
クリスタル・フラーレン