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230208_情報を横に流す場合は必ず身に入れたものだけを流す

日々、膨大な情報が人間に流れています。

デマ情報やフェイク情報とか事実情報とか。色々なレッテルが貼られた情報が流れています。

今の小学生事情はわからないですけども、多くの人達が小学生の時などに伝言ゲームというものをやったことがあるでしょう。一番、最初の人に何かテーマになることを簡単に伝えて、それを次の人へ次々と伝言していくゲームで。んで最終的に当初の伝言は最後の人に伝わるまでにどのように変化したのか?また変化しないまま最後の人にまで伝わったのか?というゲームですが。記憶を辿ってみると、大概が当初の伝言から変わっていて皆、大笑いしてゲームを終えた記憶があります。

このゲームの結果から言えることですが、人間各個人というのは自分自身にあるフィルターを通って情報を受け取るので幾らでもフィルターに沿って当初の情報が加工されてしまうということです。人の数だけ解釈が存在してしまうということです。

今のツイッターを見ても、ほぼ事実情報が出回っているということはないのではないか?と思っています。多くは推測情報、個人的な過大解釈情報そして大昔の画像や映像、動画がさも最近起こったように出回ることもありますし、推測情報が事実情報のようにカモフラージュされて何人も人間がリツイートしていたり。

情報は回っていく、流れていく性質がある以上、沢山に拡散されていくことは致し方ないと思いますが、やはりそれを受け取る人間のことを考えて拡散する責任を持ったほうがいいのではないか?と思います。現代人の多くは事実情報と推測情報を混同して情報を受け取る傾向にあります。自分自身で情報を精査することをやらないんですね。受け取った情報を過大解釈して機械のようにいつも通りの内面の反応を行いそのまま隣人にまたはインターネットに流していることが多すぎると思います。

隣人や不特定多数に何らかの影響があるからこそ、何を流すとためになるのか?よく各人が考える必要があると思います。

情報は受け取った時点ではただの情報です。

そして、その情報をいったん自分の体の中に入れます。体の中に入れると言っても具体的には情報をもとに体験するということになりますが、こういう経過をせずにただ情報を横に流すのはよろしくないことだと思います。自分の体で受け止め、これは横に流しておくとためになるであろうと判断に至って情報を流すという責任あるプロセスを経る必要があるのではないでしょうか?

最近の傾向だとこのような責任あるプロセスを経ず、ただ有名な〇〇、フォロワー数がめちゃくちゃ多い△△が言ったので、とか言う理由で拡散されています。こういう情報の流し方は不特定多数に悪影響を与える可能性があります。いいね!欲しさにただ情報を次々に流している人もいると思いますが、自分のやっていることをよく考えたほうがいいですよね。
今のような情報量を現代の人類が取り扱うにはちょっと早かったのではないか?と思うところもあります。精神と自分自身に関する責任が発達していない段階で新しいものを手にするということはいつだったそのことが凶器として用いられるということもあるので。


クリスタル・フラーレン


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