受験は人生の勝負の始まりだった

15年前の1月。私は中学受験を控えていた。
塾からもらった大きく”必勝”と書かれた手ぬぐいに
先生や友達いろんなひとにメッセージを書いてもらった。

いまでも覚えている言葉がある。
「輝く人生のスタートだ。思い切り楽しんでこい!」

あ、勝負って楽しむものなんだ。
12才だった私は初めて知った。
最後の最後まで志望校を悩み、臨んだ受験。全勝だった。
練習用に受けた自分より少し上のレベルの学校にも合格した。
その合格した学校は当時好きだったひとと同じだった。
でも地元の女子校を選んだ。


6年後。中学受験と同じ日に私はセンター試験を受けていた。
全敗した。滑り止めで受けた私立大学もすべて不合格だった。


浪人して臨んだ受験も思うようにはいかなかった。
センター試験では想定より点数が取れず、
少しレベルを下げた国公立大学にも合格できなかった。
私立大学も不合格だった。
肩書きがない自分がやるせなくて、不安で
どこからも拒絶されているような感覚になり
毎日どこにいても涙が溢れてくる。
食欲もない。何も感じなかった。

残すは国公立大学の後期試験のみ。
試験の前日は3.11だった。
震源地から遠く離れた京都でも揺れを感じた。
予備校の7階で自習をしていた私は家に帰り、
テレビから流れる津波の映像をただぼんやりと眺めていた。


受験当日。
繰り返し目を通したノートに現役で大学に行った友達からの
メッセージカードを挟み、ミサンガを手につけ、
親戚からもらったお守りをいくつも首にかけた。
これが当時の私の武装だった。(痛い。笑)

オープンキャンパスも下見も行かず、
受験当日に初めて大学に行った。
大学の最寄り駅を通る電車は30分に1本しかないことを
事前に調べていなかったため、集合時間に遅れ
遅刻者として会場に連れていかれた。
(試験開始には間に合った。笑)

国語の試験では指定の文字数よりオーバーして解答した。
試験終了後、そばの城のお堀を横目に駅まで歩いて帰った。
そんなギリギリの状態で臨んだ試験だったため、
当然のごとく数ヶ月後ここを通ることが日常になるという
ポジティブな想像はできなかった。


10日ほど経ち、合否がでた。
ホームページで受験番号を発見したとき、
あんなに待ちわびた光景だったのに嬉しくも悲しくもなく
ただただ「ようやく終わった」という感情しか出てこなかった。

10代の私にとって受験は大きな勝負だった。
”合格・不合格”しかない。勝ち負けは勝つか負けるかどっちかだ。
でも結果がどうであろうと勝負前に周りがくれたものは変わらない。
勝負に臨むのはひとりでも孤独ではない。

今でも勝負を楽しめてはいない。
緊張するし、怖いし、逃げたい。
でも生きてるかぎり、勝負からはきっと逃げられない。
受験は人生の勝負の始まりにすぎなかった。

今の勝負は未来の自分だけが得をするものじゃない。
勝ったときの喜び・あっけなさ
負けたときの悔しさ・悲しさ・やるせなさ
感じたこと、経験したことすべてが
きっといつか誰かの勝負のときに寄り添えると信じている。


がんばれ受験生。


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