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フクシマ・セルフスタディーツアー~事故後初めてフクシマを訪れた。②双葉駅周辺を歩き回った。

0. ②の目的

 広野駅でタクシーを拾って、私は双葉駅に到着した。②では、双葉駅周辺を歩いて回って感じことや思ったこと、考えたことを伝えたいと私は考える。

1. 「何となく不自然な感じがする。」

 双葉駅に着いた時、私はそう思った。双葉駅に向かう前のいわき駅周辺も静かだったけれど、双葉駅周辺はそれとは違う静けさだった。私は「駅周辺はキレイに整備されているけれど、人の気配を感じられないな。」と思った。双葉駅近くには、私の他に、どこかの大学の学生さん達か、あるいは何らかのグループの人達がいたけれど、それでも「人の気配を感じられないな。」、「本当にここに人が住んでいたのかなあ?」と思った。
 私がいたところから、テレビで観た双葉のアート・ディストリクトを何個か認められた。しかし、大変申し訳ないけれど、それらのアート・ディストリクトも、双葉駅周辺の人の気配の感じられなさのせいなのか、テレビで観るよりも迫力を感じられず、味気ないものに見えた。(アート・ディストリクトを描いた人達には大変心ないことを言ってしまい、恐縮である。)
 私は、とりあえず誰かに会ってみたくて双葉駅近くにある双葉町役場に行った。しかし、双葉駅役場は閉まっていた。理由は単純で、この日は土曜日だったからだ。私は、「そうだった。今日は土曜日だから役場はやってないんだ。」と思いつつ、目の前にあるシェアサイクルを見て、「とりあえずコレ(シェアサイクル)に乗ってみようか」とも思い、シェアサイクルのある場所に向かった。

2. 伝承館までの道のり

 私は、シェアサイクルのある場所に行き、留意事項を見た。留意事項曰く、ポート間(双葉駅と東日本大震災・原子力災害伝承館及び産業交流センターとの間)の片道利用が可能とのこと。私は、「とりあえず伝承館が実際にどんなところか行ってみよう。」と思った。
 自転車のロックに100円を入れ、私は伝承館に向かった。自転車で伝承館に向かいながら、私は双葉駅周辺の家々を見ていたが、その中で或る建物が自分の注意を引いた。


私の注意を引いた建物

瓦が崩れて、窓から何かが飛び出している家を見つけた。「この家は原発事故当時のままなのだろうか?」と思いながら、私はこの家とその右隣にある建物達に近づいた。


総合食品店だったらしい建物

この写真の建物は総合食品店だったらしい。写真にもあるように、シャッターらしきものが崩れている。私はこの建物に近づいて、その内部を見てみた。

総合食品店だったらしい建物の内部①
総合食品店だったらしい建物の内部②

内部を見た瞬間、私は「当時の地震の揺れが凄まじいほど激しかったのだろうか?そして、揺れが収まって、原発事故が発生してから、この建物の内部はずっとこのままの状態だったのか?」と思った。
 この建物の内部に衝撃を受けつつ、私はこの建物を後にした。地下歩道を通り、地上に出たら、左側に「完本 福島第一原発メルトダウンまでの五十年」(烏賀陽弘道氏著、悠人書院さん発行)で出てきた双葉厚生病院を私は認めた。私は「この建物が双葉厚生病院なのか。」と思うと同時に、「双葉町の家々がどうなっているのかは伝承館に行った後にしよう。」とも思い、伝承館に向かった。
 自転車で伝承館に向かう途中、私は「思ったよりも伝承館に着かないな。私は道を間違えていないかなあ?」と思った。しかし、スマートフォンで双葉駅から伝承館のある場所までのシェアサイクルでの交通アクセスを調べてみると、約10分と書かれていた。自転車に付いていた留意事項を見て、私は「自転車でも結構距離はあるんだな。道も間違えていなさそうだし、このまま今走っている道で進んでいこう。」と思い、再び伝承館に向かった。そうして自転車を走らせているうちに、私は伝承館のある場所へ着いた。

3. 「大分整備されてきているのだな。」

 伝承館のある場所に着いた時、私はそう思った。
「福島第一原発事故 10年の現実」(烏賀陽弘道氏著 悠人書院さん発行)の第二章で烏賀陽氏が見たような民家や工場の残骸が認められなかった。(私の見方が悪かったかもしれないが。)

 気を取り直して伝承館に入った。振り返ってみると、さきほどの民家や工場の残骸がはっきり見える

「福島第一原発事故 10年の現実 第二章 被害地は復興したのか」


伝承館(東日本大震災・原子力災害伝承館)


双葉町産業交流センター


東日本大震災・原子力災害伝承館の案内板
(伝承館を出た後に撮影。)

伝承館も双葉町産業交流センターも都心部で見るような近代的で立派な建物だった。(特に伝承館は内部も広々として都心部にあるミュージアムと遜色無かった。)
 私は双葉町産業交流センターにあったシェアサイクル専用ポートにシェアサイクルの自転車を返却した。双葉町役場と同様、双葉町産業交流センターも土曜日で閉まっていた。そのため、私は伝承館に入った。
 伝承館に入って、内部を見渡しながら歩いていると、私はスタッフの女性に伝承館の案内をされた。私は入館料を払い、入館券をもらうと、映像を見る場所へ案内された。
 映像を見る場所に入ると、目の前に大きなスクリーン、周囲にたくさんの椅子があった。私の近くには、大学生らしい、若そうな2人の男女が座っていたり、子どもを連れた大人もいたりした。私も椅子に座り、映像が始まるのを待っていた。
 それから数分後、スタッフが映像を見る上での注意を伝え、照明も暗くなった。映像が始まった。
 映像は、日本の高度経済成長期や日本社会に原発が導入された時のこと、東日本大震災と福島第一原発事故、現在の状況が、西田敏行氏のナレーションつきで5分程度流れた。その映像で私が印象的だったのは、現在の状況について、西田敏行氏のナレーションが「復興はまだ道半ば」という言葉だ。「テレビやネットで『復興五輪』、『復興しつつある』と言われている被害地(被災地)だけれど、実のところは復興していないのだな。このナレーションを考えた人も本当はそう思っているのだな。」と私は思った。
 映像が終わると、スタッフが私を含めた視聴者達に次の展示先へ移動するように呼び掛けた。私は、スタッフの案内に従って、次の展示先に向かった。
 次の展示先へ行くと、原発事故前の被害地の風景や原発事故当時の被害地の展示があった。その中でも、私が印象的だったのは次の2枚の写真である。

伝承館で印象的だった展示①
伝承館で印象的だった展示②

「被害地の学校や日本政府は、子ども達にこのようなことをさせていたのか。これは子ども達を利用したプロパガンダではないのか?」と思いながら、私は次の展示先へ足を進めた。
 次の展示先には、SPEEDIや東日本大震災及び福島第一原発事故発生直後の被災者の人達の写真等多様な展示がされていた。最後の展示では、福島イノベーション・コースト構想等が展示されていた。
 私は、「伝承館の展示物を一通り見た。あとは双葉町周辺を歩いてみよう。」と思い、伝承館を出た。

4. 「チグハグでアンバランス」

 伝承館を出た後、私は再度伝承館の周辺を歩いてみた。そこで私は改めて「やはり大分整備されているのだな。」と思った。伝承館周辺にあった民家や工場の残骸は恐らく撤去されたのだろうか?私は伝承館の周辺の風景を見ながら、「そうか。こうして原発事故発生当時や直後はどのような状況だったのかということ、原発事故前のこの場所がどのような場所だったかということが、これからこの場所に来る人達にはイメージしづらくなるのだろうな、私みたいに。」と思った。伝承館周辺には空間線量計があった。

伝承館の側にあった空間線量計(伝承館を出た後に撮影)

 伝承館のある場所を出た後、私は双葉駅に戻る道を歩きつつ、双葉町の風景を見て回った。すると、「やはりここは原発事故被害地なのだ。」と思わせるものがたくさん認められた。






写真にもあるように、放射性廃棄物と思われるものが大量にある場所もあった。ある程度近づいていけたので近づいて動画撮影してみた。

更に自分の目の先に、大量の放射性廃棄物がある場所があり、私はそちらへ向かおうとしたが、ふと自分の首元に身につけていた個人線量計を見てギョっとした。個人線量計が2.24μSv/hと表示していたからだ。

私は怖くなり、慌てて向かおうとした場所から引き返した。
そうすると、個人線量計は2.22μSv/hと表示した。

2.22μSv/hと表示された個人線量計

「この数値以上に被曝したくない。」と私は少し怖くなり、大量の放射性廃棄物がある場所を後にして、他の場所を見て回った。



双葉駅近くまで戻ると、伝承館のある場所に向かう時に認められた双葉厚生病院が認められた。

双葉厚生病院


「この脚立も事故当時のままなのか?」と思った脚立

 私が双葉駅に戻った時には、空が暗くなっていた。

双葉駅の表示もライトアップされており、双葉駅近くの空間線量計も表示が明るくなっていた。

双葉駅。「JR双葉駅」の表示がライトアップされている。


双葉駅近くの個人線量計。表示が明るくなっている。

双葉駅には、人が3~4人しかいなく、私は改めて「本当に人の気配がないな。」と思った。同時に、「駅周辺や伝承館の周辺は大分整備されているけれど、全体的にチグハグだな。駅や伝承館、産業交流センターみたいな立派な建物とそれ以外の場所がアンバランスな感じだ。『復興』ではなく『何か停滞している。』という雰囲気だ。」と思った。
 私は双葉駅を出て、宿泊先のいわきのホテルに帰ることにした。本当は、この後に富岡駅か大野駅に降りて歩いて見ようと思ったが、歩き回って足が痛くなったので、心残りがありつつ帰ることにした。
 双葉駅の構内に入ると、空間線量計があった。

双葉駅構内の空間線量計

5. 翌日に向けて

 双葉駅を出て、いわき駅に着いた。いわき駅近くの商業施設にあるレストランで夕飯を済ませ、私は宿泊先のホテルに向かった。ホテルにチェックインして、部屋に向かうと、私は個人線量計を見た。今日1日の被曝量を確認するためだ。個人線量は1.872μSvと表示していた。

10月29日の被曝量

想像していたより、あまり被曝していないなと私は思った。明日は、浪江町に行ってから大野駅か富岡駅に降りて見ようと考えつつ、私は明日の準備をした。


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