真崎甚三郎日記・真崎教育総監罷免問題該当部意訳【二】昭和十年七月十一日

七月十一日水曜日(誤記。本来は木曜日)。曇り。
 石井三二馬が八時に来訪。斎藤瀏、宇垣一成の圧力による陰謀の情報を伝えてきたが、疑わしいものであった。
 秋光晃栄が来訪。私(真崎)の運勢良いと透視した。当てにはならないが幾分か心強いことである。川島義之が八時半に来訪。人事の件(真崎の教育総監罷免の問題)について心配し、来たという。私は私の決意及び今日まで人事問題を巡る状況について説明した。
 牧胤吉が来訪。牧が早川鉄治に私の決意を伝えたことを報告してきた。
 江藤源九郎が九時に来訪。私の大決心を達成すべきであると勧めてきた。
 十時、電話により、閑院宮参謀総長殿下が私を待っておられることが伝えられた。殿下が私と会合の席をつくられたことについて調べたところ、林銑十郎陸軍大臣が殿下に対し、私に関する誤った情報を伝えたことによることがわかった。已むを得ず私は十時半に殿下の下を訪れ、拝謁した。まず私は祖父の代より大義名分を誤ることがないようにとの教育を受け、今日に及びました。日本の臣民として皇族殿下の御意に背くことなき様、固く心得てきました。しかし、事実をありのままに言上し、ご判断を仰ぎたいとの趣旨をお伝えした。それを前置きに陸軍の現状について「三月事件、十月事件に加わり、政権獲得運動を行ったため、中央より遠ざけられた者たちを事件当時、刺激し、実行させたのは南次郎と永田鉄山の策動によるものであります。陸軍士官学校事件もその発生が不可解であり、彼らの陰謀であるると言えます。また、このような現状は大体において、思想上の対立であり、大義名分論者(真崎ら)に対する大義名分侵犯者(南、永田ら)の対抗であります。このような情勢で、対応を一歩でも間違えたなら、現在の勢力図は真逆になる恐れがあります。私は軍人として、陰謀の親方として失脚させられるのは一大恨事であるのです。せめて白黒、はっきりさせた後に失脚したいのです。林大臣の言葉は容易に信じがたいものがあると思います。例えば大臣留任(三四年七月)の際の殿下に対しての発言などであります(林は大臣留任の意見を真崎に伝えたが閑院宮を含めた三長官会議になると辞意を漏らした)。」とお伝えした。またお伝えした内容の御参考になるよう、永田鉄山の思想について申し上げた。今日は行き違いがあって未だ、書類の整理がつかないため、十二日に熟考させていただきたいと乞い、退出した。殿下は私の意見について「了解した」と仰せられた。
 十一時、帰路荒木貞夫宅を訪れたが来客中であった。ただたまたま川島義之が来ていたので、この好機会に殿下に言上した概要を報告した。
 十二時に帰宅。
昼食中、本日午後十四時に、難しいようなら明日午後一時より、三長官会議を開催する通知が届いた。私は断った。明日も書類の準備が出来ない見通しのため、断ったのだが嘘か本当かわからないが殿下が会議を開きたいと要請されたと伝えてきた。殿下がお出ましになるのなら、断るわけにもいかないので明日九時前に林大臣と会見の後、開催をするかどうかについて決めることと約束した。
 牟田口廉也一時に来訪。小畑敏四郎の意見を伝えに来た。内容は「一、真崎は殿下並びに大臣に明瞭に発言しておくこと。林大臣の単独上奏による教育総監罷免の可能性もあるため、本庄繁侍従武官長と連絡しておくこと。荒木貞夫を通じ、閑院宮殿下に拝謁を乞うこと。」であった。
 荒木貞夫一時に来訪。私が殿下に言上したことを報告した。同時に小畑敏四郎が提案していた閑院宮殿下への拝謁を依頼した。
 竹内賀久治二時に来訪。断行論(教育総監罷免に対して反対の姿勢を貫くこと)を主張した。対策として林らに対する攻撃点を永田鉄山に向けるべき旨を報告してきた。
 鈴木貞一来訪。彼は牟田口廉也から教育総監罷免の件に関し、聞いて来たらしい。私は概要を説明し、罷免について陛下の聖断を奏上する際に必要な文案の作成を依頼した。
 西村虎一来訪、概要を知らせた。彼は外部から教育総監罷免について聞いて来たようで、林銑十郎の実弟である白上佑吉と通じているらしい。
 松浦淳六郎及び平野助九郎が同時に来訪。平野が昨日電話にて、森赳より教育総監罷免の件を聞いて驚き、来訪したのだという。今日までの経緯を説明した。両人ともに甚だしく憤慨していた。
 牧胤吉、松下権八が八時ごろ来訪。松下は初対面である。今回の件に関し、威勢の良い言葉を言って帰っていった。
 大谷一男来訪。荒木より罷免の件に関し、聞き、憤慨して訪れただけであった。
 八時、荒木貞夫を訪問。荒木貞夫と本庄繁の会談内容を聞いた。内容は「林大臣の単独上奏の場合にはこれを止めること。またその場合には上奏前に教育総監としての意見を上奏し、林大臣の責任において問題が生じていると申し上げること。」という。
 しばらくして鈴木率道、牟田口廉也が来訪。鈴木率道に上奏の文案を依頼する。十一時に帰宅し、疲労のため就寝。

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