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アイルランドに魅せられて

最貧国から世界2位の経済強国へ
 ロシアのウクライナ侵攻、そしてイスラエル・ハマス紛争。文字通り激動する国際情勢の中で、なぜ今アイルランドなのかと叱責を受けるのを覚悟で、「緑と湖の島」アイルランドへの一老生の思いを書かせていただく。
 筆者がこの国の魅力にとりつかれたのは、ある一冊の本を読んでから。司馬遼太郎が30年前に書いた『愛蘭土紀行』だ。長いこと読み欠けたままになっていたのを最近読み直し、感銘を受けた。内容を紹介すると長くなるので省くが、司馬がその独特の筆致でアイルランドの歴史と文化を書き綴る中で、「小国ながら文学の才能ではとほうもない大国」「百戦連敗の国だが、国民は百戦連勝と思っている」と紹介しているのがとくに印象に残った。
 アイルランドはノーベル文学賞を受賞したイェイツ、ベケット、ヒーニーの3人を筆頭に、『ユリウス』のジェイムズ・ジョイス、『ガリバー旅行記』で知られるスウィフトなど、世界的な文人を多く輩出した「文学大国」なのである。ラフカディオ・ハーンで知られる小泉八雲もその一人。このイェイツと親交のあったトーマス・ムーアという詩人がいる。アイルランドの伝統的メロディに詞を付ける作詞家でもあり、多くの名歌を後世に伝えた。
日本でなじみの「庭の千草」もそのひとつだが、筆者がとくに気に入っているのは、堀内敬三訳詞の「春の日の花と輝く」。原題は「Believe Me If You・・・」と長いが、年老いて色香の衰えていく妻を愛し続けるという、いかにもロマン派詩人ムーアらしい名曲だ。実は、あるアイルランド人女性歌手がこれを切々と歌うのをたまたまユーチューブで観て、感動を覚えたのである。『愛蘭土紀行』を読む前であり、これがアイルランドにハマる本当の理由と言っていい。
 
▽移民の数は本国人口の⒓倍
 次に司馬が言う「百戦連敗の云々」とは、侵略者イングランドとの長い間の戦いでアイルランドが勝利を収めたことがほとんどないのに、「いや一度も負けていない」と意地を張るアイルランド人の負けじ魂を表現したものである。アイルランドはその歴史をたどると、苦難と抑圧が長く続いた国。逆に言えば、だからこそ素晴らしい小説や詩そして音楽が生まれたのだろう。古代ケルト人が建国したアイルランドは、12世紀から実に750年間、隣国イングランドの支配下に置かれ、1923年に独立を果たした国であり、独立後も西欧の最貧国と言われるほどの苦境に立たされてきた。
 イングランド支配下での苦難と言えば、有名なのが1845年から4年間続いた「ジャガイモ飢饉」。主食のジャガイモに疫病が発生して大凶作が続き、この間に約150万人が餓死または病死した。その結果、約100万人のアイルランド人が国を逃れ、主にアメリカに渡った。飢饉前約800万だった人口が激減、180年経った今も約500万人と、元に戻っていない。アメリカには現在約6000万人のアイルランド系住民が住んでいる。つまり本国の12倍ものアイルランド人がアメリカに住むという史上稀な国だ。アイルランドが第2次大戦後も長く貧困状態にあったのは、この人口減が大きな一因だったと言われている。
 アメリカに渡ったアイルランド系住民で名を成した人物は数多いが、政治家ではケネディとレーガンの両元大統領と現職のバイデン大統領が最も有名。作家ではユージン・オニールやレイモンド・チャンドラーが知られる。映画界となると、俳優のジョン・ウェイン、マーロン・ブランド、監督のジョン・フォードなど枚挙にいとまがない。余談だが、ジョン・ウェイン主演の「静かなる男」という映画(1952年公開)がある。ボクサーだった一人の男が故郷アイルランドの片田舎に戻り、家を建て、ちょっとした争いのあとアイルランド女性を嫁にするという分かりやすいコメディタッチの物語だが、風景描写が素晴らしく、アイルランドの伝統音楽が絶えず流れる名作だ。
 
 ▽ケルトの虎
 筆者は1973年から78年まで通信社の特派員としてロンドンに赴任した。着任早々に出くわしたのがIRA(アイルランド共和軍)による地下鉄駅爆発テロ。わけも分からず支局を飛び出し現場取材した経験がある。アイルランドが世界的ニュースとして注目を集めたのが北アイルランド紛争(イギリス当局は紛争とは言わず、「厄介事」と呼んでいる)である。アイルランドを語るにはこの問題に触れなければならないが、別の機会に譲ることにする。
 ともあれ苦難の歴史を歩んできたアイルランドだが、1990年代に「ケルトの虎」と呼ばれる奇跡的な経済復興を成し遂げ、今や国民一人当たりのGDPはルクセンブルクに次ぎ世界第二位の経済強国となった。EUには加盟しているが、NATOには加わらず、中立外交政策をとっている。戦後の奇跡的復興という点で同じ島国日本と似ており、親近感のある国がアイルランド。なお、小泉八雲の玄孫という日本人女性が現在、アイルランドに住み、現地人男性と結婚。ユーチューブでアイルランド生活のいろいろを発信している。興味のある方はぜひ。

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