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「Vision」というワークを受けました

自己探求のプログラム「Vision」へ

「質問を磨く会」では自分の中にある問いを見つけていきます。自分自身のテーマを整理するために始めた会なのですが、より探求をしていきたいなと感じて、今年に入って、大島ケンスケさんのVisionというワーク(オンラインレッスン)を受けることにしました。オンラインセミナーがあり、3ヶ月のコースが開講されたタイミングで受講のお願いをしました。

昨日が3ヶ月のコースの最後のレッスンでした。

日常と内なる探求

私自身は普段は普通のお仕事をしていますが、現在のストレスからたどり過去の体験や信念を再考することで、ストレスの解消を目指すワークも行っています。

現在は、信頼関係のある少数の人々のみにこのワークをしているのですが、その理由の一つは、このアプローチが誤って適用されるリスクが予想以上に高く、本来の意図から逸脱する事例も目にしてきたからです。このワーク自体は有効だと考えていますが、不適切な使用が常態化し、表面的で乱暴なセラピーに変質してしまうことに懸念も感じていました。

「Vision」で得た気づき

「Vision」を体験して気づいたのは、心理的なプログラムを扱う際には提供者自身の自己探求の深さが結果に大きく影響するということです。提供する方がどれだけ自分を投げやりにならずに探求していったのかがストレートに出てしまうものだと思うのです。

Visionで自己観察、反応をしないというワークをすると自分に対して「聞きたくない、切り上げたい、はいはいわかったわかった!とまとめたい」自己に出会います。また、他者への共感を装いながら、実は自分の過去の傷や恨みに囚われていることの多さにも気づかされます。
どちらの場合も私は他者も私もさっぱり視ていないし聴けていないと気がつきます。
ペアワークをすることがあるのですが、そこでは思い込みと反応の力の大きさを体験できます。「私は私を視ることにくじけていた」「いじけて敵対していた」といった愕然とする感覚に何度か出会いました。

幻想を超えて、現実の受容へ

Visionは幻想を打ち砕き、現実をありのままに受け入れる挑戦です。虚しく心細く途方もなく、正解を誰かにもらえないそのままの世界に立つことを丁寧に受け入れるためのプログラムです。大きな自由と、肩代わりをしてもらえない人生の責任を同時に受け取ることになります。

幻想が剥がれ落ちる時、それを苦痛だと感じてしまうこともあるのですが、プログラムの早々にそれを見越したような祈りのレクチャーがあります。これがあることで私自身は負担がかなり軽減されていました。

特別ではない、しかし深い

Visionでは手品みたいなことはまるでないので、これをやっても特別な何かは身につきませんし、箔もつきません(笑)、何の賞賛も得られないと思います。

ただ、「私がずっと欲しかったものを私自身が受け止める」ということはできていくはずです。
なぜならこれは真正面から、面倒くさくなることをぞんざいにせずにやるからです。Visonでは忍耐強く、誠実に自己と向き合うことを要求するプロセスを踏みます。それを続けていく中で、自分の中にあった様々な摩擦が解消されていきます。

もし、機会があれば8月にセミナーがあるそうです。
おすすめしますので、是非受けてみてください。

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