信じること

もう二度と触れられない、時間と重力から解放された相手を想って、いまさらの様に泣く。傍に居てほしい、私がそう思った時、見えない姿であなたはそこに居るのでしょう。感情に顔が歪み、涙がひとつ零れ、洟を啜る音を立てるたび、自己陶酔に近いなにかをしている気がする。あなたに逢いたい。泣いて、悲しむ姿なんて、きっとあなたをもっと傷つける。傷つかなくても、かなしみに類する想いを、させているかもしれない。ひとりの部屋で涙声が響くその度、私はその声の大きさに戸惑う。ひとりでどうにかするしかない。いまが冬で、今日は雨で、私の先行きが未だ不安定に映るから、こんな気分になっているんだ。目の前の人も大事に出来ないまま、喪失の意義を考える。どうして、この世界では、何にも代え難い"何か"を失うことが、もれなく付いて回るのだろう。愛と、若さ(或いは瑞々しさといってもいい)以外、永遠を欲しているわけではないけれど、なぜこの世界は、大切なものを「失う」というイベントが在るのか。誰だって、通ってきたはずのこの気持ちが有るはずなのに、どうして、未だに争いや暴力、人為的な理不尽な姿を失せないのだろう。心の声に耳を傾けたとき、本当はどんなことを望み、どんなことばを語っているか。私はいま、これから、今願っていることをどれだけ叶え、また命の時を活かし、可能性を生かし、現実に形を与うことができるだろう。あなたを感じて、いま生きている、あなたに会いたい。あなたの熱を、手触りを、あなたと居た頃の記憶、あなたを抱きしめた時の優しい瞬間、あなたと共有しもらったもの、もう"すべて"とは言えないけれど、私は記憶している。こころで、憶えていることもある。それと、あなたを抱いて、わたしは今日を生きて、歌う。いつか、私の歌が世界に響き、愛に満ちて溢れるように、まるで太陽がそうするように、そのために、私は生きる。生きて、生かされているの。あなたにその姿が見せられるように、どうか、力を貸して、強さを、愛を、光を与え、助け導いて、何度も救いあげ、送り出してくれて、ありがとう。行ってきます。

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