仮 おりコウSS

りりむちゃんが悪魔の力を使って世界を改変しちゃうお話です。
肉体変化、恋愛ネタ、諸々地雷自己責任でお願いします。
恐らく細部を手直しして再投稿します。

退屈な漫画が嫌い。退屈な映画が嫌い。退屈な人も嫌い。そして退屈な私も嫌い。この徒然な人生には起承転結の起の字もない。
地下深くにある洞窟の湖のように永遠の暗闇が続くだけ。暗闇に慣れてしまった私は目を失ってしまった。たとえ光が現れたとしても、私はきっと気が付けない。
夏休みのとある日、親との喧嘩を起因として私は家出を決行した。わんわんと泣きながらあぜ道を歩いていた。理由は忘れてしまった。忘れたものはきっとどうでもいいものだ。しかし当時の私にはきっととても大切なことだったのだろう。そう思うと少しため息が出る。動きやすさと通気性を重視した白のワンピースを一枚羽織っていたが、この暑さの前では焼け石に水であった。きっと東京ならもっと適した服装が手に入るのだろう(と勝手に想像していた)が、ここでは制服といっても差し支えないほどに、同年代の女の子は夏にはこの服を着出す。閉鎖的な田舎では誰も悪目立ちはしたくないのだろう。ささやかな抵抗としてこっそりと買ったサンリオバッグをぶら下げてはいるものの、結局は自分もそのシステムに大部分は取り込まれてしまっていると思うとため息は深くなるばかりだった。さらに、生憎にもその日はへそで茶を沸かすなんてことが成立するのではないかと思えるほどの猛暑日。汗と涙でぐちゃぐちゃの私はまるでアイスになったようで、野良猫達が舌なめずりをしながらこちらを眺めている気さえしてくる。「中身はハズレだよー」なんてボヤいても、ほとんどのすい星が地球に届く前に燃え尽きるように、私の声は陽炎に儚く吸い込まれていった。私を温かく(この場合は涼しくが正解かもしれない)迎え入れてくれる冷房ちゃんや氷がたっぷり入った麦茶ちゃんとの逢瀬を夢見るが、今家に帰ることは即ち敗北を意味する。敗北は即ち死を意味・・・しない。今日に限ってはこのまま歩き続ける方が死を意味するのではないかと思う。もしかしたらこのまま干からびて砂となり、風に飛ばされそのすべての痕跡は消え去ってしまうのかもしれない。誰も私の存在を覚えないかもしれない。そんな風に思うとたまらなくなった。暑さでどうかしてしまった脳が作り出したただの妄想だと切り捨てることができないほど、それは現実味を帯びて、燦燦とした太陽光と共に私に襲い掛かってきていた。私を含めて、人生というものに価値があるとは思えなかった。私にとって砂漠というものは太平洋を越えた向こう側にあるだけではなかった。生きとし生けるもの全てが砂漠に見えた。みんなが「あれが欲しい」「これが欲しい」とずっと騒ぎ続けているのは渇き切った土壌を思わせたし、きっと最期には皆砂になるのにとどこか確信と諦観のようなものを抱いていた。ならばこんな辛い思いをしてまで歩き続けた先には何があるのだろう。
「もう、帰ろうかな。」
つまらない意地を張るのはやめて、親に表面的な謝罪を示して、安定した無意味な日常に戻るのが賢い選択なんだろう。心の中をひた隠しにして所謂「いい人」であり続ければ少なくともこんなに苦しむ必要はない。たとえその代わりに決定的に自分が損なわれたとしても。
しかし、光があれば影があるように、正義には別の正義があるように、砂漠を歩き続ければオアシスがあるものだ。気が付けば、私の目の前にはこんな辺境には似つかわしくない随分な豪邸がたたずんでいた。こんな物があれば噂になっていそうだが全く聞いたこともない。その異様さに何かへのアンサーらしき物を見出した私は、限界がきていた体を救うためが半分、好奇心が半分、らしくもなくインターホンを押してみる。しかし待てど暮らせど聞こえてくるのは甲高い声で鳴いているセミセミセミ。こいつらが全員求愛のために鳴いていると知った時は子供ながらにかなりの気色の悪さを感じたものだ。不動にみえた金属製の重厚な扉は駄目元で引いてみると案外さらっと空いた。冷風が「ブオーーー」と一気にこちらに吹き込んでくる。どうやら冷房も電気もついているようだ。ならば人がいるはず。声をあげながら恐る恐る歩を進める。「だれか~、いますか~?・・・ごめんくださ~い」。実際に入ってみると外見以上のその広大さに驚かされるが、どの部屋も見事なまでに何もなく、そのミスマッチさはどこかオープンワールドゲームの作り込みが甘い空白の部分を想起させた。体にまとわりついていたベタベタした汗は引いてきたが、得体の知れない不気味さによって代わりに冷や汗が出てくる。自然と握りしめる拳にも力が加わってくる。このがらんどうとした家に住んでいるのはいったいどんな人なのだろうか。一人で住むにはあまりにも寂しいここは、無機質な機械音と自分の足音ばかりが聞こえてきて、砂漠のオアシスというよりディストピアの無菌室を思わせるようになっていた。
あてもなくさまよっていると、大量の扉がある中でふと一つの扉の前で立ち止まる。これといった変哲もないただの扉。しかし不思議な吸引力があった。どこでもドアのように、モンスターズインクの扉のように、そこを開ければどこか魔法と希望にあふれた空間に繋がれるような感覚。遠い地平線のように、19世紀の名画のように、そばにあるようで無限の距離があるような感覚。とにもかくにもそこには私を立ち止まらせる何かがあった。今ここでこれを開けるために私はこの世界に生まれてきたんだと本能が獰猛に叫んでいた。
ああ、この感覚を以前経験したことがある。どこで、いつ、何に対してかはわからない。ただ漠然とデジャブがあった。
とにかく、全てはここを開けた先にあると思った。
ゆっくりと扉を開ける。刹那、視界が黄金色に染まる。日曜の長閑な午後の陽気が何年も閉じ込められていて、それが一気に開放されたかのようなまぶしさだった。だんだん目の焦点があってくるとそこに一匹の猫の姿を認めることができた。全身が生クリーム色に染まった黄色の猫。深海を思わせる深淵さを含みながら飴玉のようにくりくりした可愛らしいエメラルドの両眼。自然ながらもきれいに生えそろった毛並み。すべてに無駄がなく、最も美しい状態で保存されたようなのに嫌気がなく、どこか親しみやすさ(いや、懐かしさの方が近いかもしれない)さえ感じさせるその姿はまるでーーー
「君は、だれ・・・?」
「にゃーーー」
彼は私の胸に向かって飛びついてきた。
優しい、夏のにおいがした。

運命的なものを感じた私はその猫を育てることにした。もちろん親には秘密だ。ばれたら間違いなく元に戻して来いといわれるからだ。傍から見たら人の家から猫を盗んだようにみえるかもしれないが、そこには少しだけ語弊がある。最初は飼い主が帰ってくるまで遊ぶだけの予定だったのだが、一向に帰ってくる気配がなかったので引き上げることにしたのだ。しかしその猫(名前は結局決められなかった。だからこの物語でも呼称は猫のままにしておく。その猫はどこまでも見知らぬ他人の家にいた猫であり、どれだけ一緒に過ごそうが永遠に私のものにはならないように感じた。そして、それは時々私をひどく悲しませた。)はこっそりと私の後をついてきていて、夜も遅いので一日だけ預かって次の日すぐに返しに行くことにした。けれどどれだけ捜し歩こうが件の家が見つかることは無く、誰に聞こうとも「そんな家なんて知らない」と返ってくるだけであった。あの家はまるで蜃気楼のように私の前から姿を消してしまった。しかしそれでも、猫が鎖のような機能を果たしたことで記憶と認識は繋がり続けることができた。確かにこの猫はあの部屋で出会ったのだ。そして、この猫はまだ私の前に存在しているのだと。もしこの猫が居なくなったら記憶と認識は現実にのまれてバラバラになっていたのだろう。言い換えれば猫は私の中で現実と相対するものとなり、そして文字通り夢のような日々をくれた。
私たちはできる限り全ての時間を一緒に過ごし、楽しみを共有し続けた。親にばれずに育てるために拵えた段ボール製の秘密基地は非日常感を味わわせてくれて、あえて日向ぼっこを選択するのが好きだった。出かけるにしてもずっと一緒だった。夏には何時間も外を散歩し、秋には落ち葉を出来るだけ積んで天然の布団に寝っ転がって寒空を眺めた。毎年一個しか作らなかった雪だるまは小さいもう一つが追加されることになった。同じものが食べたくて人間が食べられる生魚を要求したときはさすがに両親も困惑していたが、いわゆる年相応の活発さをもつようになった私を見て喜んでいたし、多少の違和感は思春期の衝動だと帰してくれた。その都合の良さに不快感を感じないでもなかったが、それで邪魔をされないならばおおむねどうでもよかった。流石に理性がすんでのところで私を引き留めたが、魚を貪っている猫を羨望のまなざしで眺めていると独特の生臭さが癖になり、原義的な意味での性癖の一つが開拓されたこともあった。そしてそんな私を猫は「まじかよこいつ・・」なんて目で見ている気がして、それがおかしかった。このように、私と猫の間に共通言語はなかったがもっと大切なところで繋がれていると感じることができた。私が嬉しいときは猫も嬉しがっていて、私が悲しいときは猫も悲しがっていると本気で信じていた(不思議なことに猫はまたたびよりも雑草をよく好んで戯れていた。そのつまらないこだわりは私を安心させた)。むしろ感情を安易に伝える術を持てないもどかしさが私たちを一層強く結びつけたし喜びを倍増させていたと思う。猫と出会ってから、私を囲む全てが七色に光輝いて見えた。あらゆる草花は色を取り戻し、嫌いだったこの町の古めかしさこそが再生の予感を与え、虚ろで平坦だったこの道も輝かしい日々への近道だとみえた。ただ、猫を秘密基地において家に帰り布団に入ると、たまらない罪悪感に襲われることが時々あった。それはパンドラの箱を開けたエピメテウスの後悔と同等のものにさえ思えた。あるべきものをあるべき場所からつまらない理由で奪い去ってしまったような。猫は勝手に私についてきたのだ。猫も幸せだと自分に言い聞かせるが胸を刺す痛みが和らぐことはとうとうなかった。
そんな日には決まって同じ夢を見た。
いつも、私は深く暗い海の底にいる。月の光も届かないような場所だ。
私は悲しくもなく、辛くもなかった。ただそこにあるのは虚無だけだった。魚も海藻も何もそこを通らなかった。
そんな毎日を過ごしていると、だれかの声がする。
暗くて見えないけれど確かに聞こえた。
いつからいたんだろう、誰なんだろうとわたしは必死に声の主を探す。なんて言っているのか耳を澄ませる。
「ーーーー」
聞き覚えのある声がする。
そう、彼はずっとここにいた。
そう、私は彼を知っている。
「うそつき」
彼は悲しそうに泣いていた。
そうして私は目を覚ます。
決まって私も泣いていた。

いつ来るか知れない悪夢に、だんだんと私は眠るのが怖くなっていた。そんな時、頼りになったのはやはり猫であった。家を抜け出してこっそりと猫と夜道を歩く。その光景の非日常感と猫が隣にいるという日常感の相反した組み合わせはちょうどよい具合に新鮮で、私の不健康を肯定してくれている気がした。手順としてはまず、猫を秘密基地に迎えに行く。私が来るのを待っていたかのように、たいていは起きているので起こす手間は必要なかった。猫も私に負けず劣らずの夜行性でよかった。そりゃ猫なんだから当たり前か。では犬だったらどうなっただろうという想像をすることはままあった。私にとって犬とは社会性を重んじる規律型、猫(一般的な)は枠にとらわれない自由人といったものの象徴として対極に位置していたからだ。そして猫(私の隣にいる)の好ましい部分も好ましくない部分も後者に含まれている気がしたし、好ましくない部分も私にとっては愛おしかったので包括的にみると猫特有の何かに私は心を惹かれていたということになるのかもしれない。では猫であるから好きなのか?犬であったらこのような関係は生まれなかったのか?答えは「部分的にそう」といった種のものになる。確かに犬であったりあまつさえ人間であったりしたらそれは全く違う生き物であり、私とは今とは全く違う関係性になっていることは確かだ。しかしそれと同じくらいの確信をもって、私は今日も一緒にこの道を歩いているのだろうといえる。どれだけ環境が違えど、私が最も愛している部分は一見弱さそのもののようであるのだが、その実非常に強固な硬度を持ってその存在を保つに違いない。それはたとえ3分後に隕石が降ってくるような世界であっても、人々の顔から花が咲き乱れているような末恐ろしい世界でも、私たちをこの夜に駆り立てるには十分すぎる理由だ。勿論この世界にはそんな危機は存在しない。ただあるのはありふれた末法論と遅延証明書くらい。だから猫を迎えに行ったあとは特に行き先を決めるわけでもなく自由に歩き回る。そう、自由だ。そこではチャイムの音も母親が夕飯に呼ぶ声も聞こえなかった。しかし蛮勇と勇気が違うように、無秩序は自由ではない。私たちの夜の小旅行の終着点は星がよく見える野原だと決まっていた。特定の野原ではない。星がよく見える野原ならどこでもよかった。幸か不幸か、この地域にこれといった光源は無かったので、究極的には野原ならばどこでも星が綺麗に見えた。別に最初からその習慣が決まっていたわけではない。ただ、私たちは導かれるように毎回最後にはそこに辿り着いていた。直感は行動になる。行動は習慣になる。それは極自然な流れとして私と猫の暗黙の了解に変貌していったのだ。勿論、私と猫の間に会話があったことなど一度もなかったが。
その日は新月だったのにも関わらず一際星が明るく輝いていて、夜を夜と感じさせなかった。それは足りない部分を補い合っているというよりは、夜という一つの生命体が、一部の輝けない劣等感を別の部分で必死にごまかそうとしているようだった。しかしその愚直さは確かに私を勇気づけていた。
ああ、まただと思った。またデジャブだ。
私はこれと同じ種の感情を誰かに抱いたことがある。
誰だろう。この気持ちの正体を探るために、目を閉じて慣れた手つきで自分の世界を作りだす。それはやはり星がよく見える広大な野原だった。私は何かふわふわとしたものを自分の中に見つけようとする時、このような入場料も交通費も要らない避難所のような空間を作り出すことが多々あった。ここなら誰にも何にも邪魔されることは無かった。その野原に私は立っていて、目前には記憶の湖がある。その湖は不定期に現れる。次に現れるのは明日かもしれないし、一週間後かもしれないし、100年後かもしれない。だから臆すことはできない。深く深く深呼吸をして中央に浮かぶ黄金色の円に向かって飛び込む。それは気軽にできるものではない。なぜならば、その空間自体とは違い,湖は入るのに一種の資格が必要だと知っているからだ。その湖は怖くて震えていて、逃げたくて仕方ない者が精一杯振り絞った勇気の残滓が集まったようなもの。普通の人から見たらひどく頼りない量だが、持たざる者にのみそこを通り抜けることができる。私のこの喪失感のようなものがその資格としてなり得るのか判断がつかなかった。もし何か間違いがあれば、私は私の大切な記憶を永遠に失ってしまう可能性だってあった。しかしどうやら私には資格があったらしい。その湖は多大な公平さと寛大さを持ってして私を受け入れてくれた。むしろ予想以上に私を私の深部へと連れていってくれた。数メートル四方の湖に対して、奥行きの広さに驚かされる。このギャップは屋敷に入った時に感じたのと同じ種のものかもしれない。でも求めているのはこのデジャブではない。今までにないくらい、更に奥深くに潜る。深層意識なんて場所はとうに越した気がする。途中で知らない女の子と出会った。その子は束感のある銀髪の髪の毛をもっていて、こんな田舎では決して見ることのできないような派手な格好をしていた。そして何よりも印象的だったのが真紅の両翼を背中にはやしていたこと。人間ではないと一目でわかるそれはまさしく悪魔を彷彿とさせた。しかし、不思議なことに、彼女を形容する言葉を探した時少女という言葉しか出てこなかった。彼女はまさしく少女だった。
「君じゃないの」
私が探しているのは見知らぬこの子じゃない。この子からはデジャブを感じない。後ろ髪を引かれる思いをしながらもさらに深く潜る。そろそろ息が持たなくなってきた。水が体中に入り込んでくる。食道,胃、腸、全てが満たされていくのを感じる。上下から侵食されているにも関わらず不思議と不快感はなく、むしろタワー・オブ・テラーの一番上に到達した数秒間のような、言い難い高揚感や浮遊感を覚えさせた。私は記憶の湖と同化する。意識が飛ぶその一瞬前、私は湖の底に辿り着いた。
煙の黒、パンダの黒、宇宙の黒、灰の黒、ありとあらゆる全ての黒を集めたような暗い海の底だった。
そこはまさしくあの夢に出てきた場所だった。
そこに触れた瞬間、私は透明になった。
私の色彩が失われたり、周りに見えなくなったりしたわけではない(と思う)。
私は物理的に通り抜けたのだ。通り抜けフープがあるかのように私の体は何の抵抗もなく湖底をすり抜けていった。
永遠の暗闇と見えていたそれは、間に合わせのはりぼてのように薄かった。
そしてその向こう側にあったのはさっきまでいた野原ときれいな星空であった。
けれど横にいるのはあの猫じゃない。
そして私は私じゃない。
私はあの銀髪の少女で、猫は少年になっていた。
そして私はその少年を知っている。
「コウ君」
「なに?りりむちゃん」
その声はとても優しく、懐かしく、穏やかだった。
世界が音を立てて崩れ始める。
永遠の夏が終わる合図がした。



しばらく呆然とした状態で目の前の彼を眺める。
「どうしたの、そんなにちらちらみて」
彼は手元の雑草をちぎっていじりながら地面を見たまま話す。
私は上手に返事をすることができなかった。
彼の黄金色の夜風にゆらめく髪、西洋的であるのに不思議と日本の風物詩が似合うそのエメラルドの両眼。少しだけ大きめのサイズの制服は未完成である「彼」を鮮明に表していた。その全てが現実だった。
そうだ、全部思い出した。いや見えないようにしまっていただけだった。
「コウ君、ごめん、ごめん、本当にごめんなさい」
私は気が付けば泣きながら許しを乞うていた。
彼は戸惑っているような、困った表情を取り、こっちを見る。雑草をいじる手の動きが緩やかになる。
「い、いや別に見られてることに関してそこまでストレス感じてないから」
「ちがうの、ちがうのコウ君。いいむ、ずっと間違ったことしてた。ごめん、ごめんなさい」
条件反射的にでてきた一人称にやっと自身の名前を思い出す。
名もなき雑草はすでに彼の手元を離れ、どこに行ったのか分からなくなっていた。
「どういうこと、、、?」
「いいむね、コウ君がね、だんだん遊んでくれなくなって、このままどこか遠くに行っちゃうんじゃないかって不安になって、それで、それで、、」
彼は訳のわからないという様子だったが、いちおう真剣に私の話を聞こうと目で相槌を打っていた。
「いいむ、こうくんとずーーと遊んで暮らせる世界が欲しいっておもったの。大好きな友達も、家族も、なんにもいらないからコウ君と繋がっていたかった。怖くて仕方なかったの」
夏の野原だというのに、虫たちのオーケストラは今宵は開催されていなかった。私と彼の鼓動の音だけが聞こえるほどに静かで、時間に置いて行かれたようだった。私たちは一生明日には追いつけないのかもしれないとおもった。
魔界ノりりむは明日を望まなかった。幸いにして彼女には悪魔としての力があった。自分に都合のいい世界を作りあげ、そこに自分と彼の今日を閉じ込めていた。小学校の頃に埋めたタイムカプセルのように、美しいものだけを閉じ込めた。しかし私は自らそれを掘り起してしまった。思い出は離散し、元居た場所へ戻っていく。誰にもその流れを止めることはできない。
「コウ君、いいむコウ君にとってもひどいことしちゃった。いいむのためだけに、取り返しのつかないことをしようと、、しちゃったの。。」
だめだ、泣いてしまう。意味不明なことを言ってそのまま泣いて、優しい彼をこれ以上困らせるなんて悪魔の所業だ。いや、私は悪魔に相違ない。体も、こころも。
彼は何を言うでもなく私の目を見ていた。そこから大事な何かをすくいとろうとするように。彼のそんな真剣な表情が好きだった。でもやめてくれ、私は空っぽな人間なんだ。君の探しているようなものは何もない。
「そっかそっか、なるほどね」
彼は何かがすっと腑に落ちたように、私から目を離し深く深呼吸する。
「気づいてしまったなら仕方ない。我はもう貴様の知る卯月コウではない。闇の帝王ウヅウヅキングコーーン3世であるぞよ!!!!!
ほーーーほっほっほ、今まで我の正体を見破った人間は居なかった。ほめて遣わすぞ、か弱き悪魔の子」
彼は立ち上がり、胸を大きくそらし裏声を使いながら大げさに動く。
「やめて・・・コウ君、もう頑張らなくていいから悪いのは全部りり「ハイハイハイハ―ーーーイ!!!そんな君にはご褒美をあげちゃうぞーーー」彼は気味の悪い笑顔をうかべながら舌をぺろぺろと出してこちらにすりよってくる。
「いや、やだ、、」
「あ、今がちのやだ出たね。このメスがきがっ!!!」
両手を広げてルパンポーズで飛び掛かってくる彼を見て、思わず走って逃げてしまう。
「やだ、やめて、コウ君、ちょっととまって、はなそ!はなせばわかるから!!」
「うーっひっひ、勝負の世界に待ったは存在しないのだよりりむてゅわん」
しばらく私と彼は追いかけっこをしていたが、全速力で走れば、当然くそナード二人組の体力はすぐに尽きた。
2人ではあはあと息を整えながら野原に寝転がった。
雑草がチクチクと痛かったが、それが気にならないほどに星が綺麗な夜だった。
「りりむちゃん、なにがみえる?」
「えーーと、わかんない」
「わかんないってなんだよw」
暫くの沈黙が流れる。しかしその沈黙は先ほどとは全く違う、ランニングの後の充足感に似た心地よいものだった。
「俺にもね、本当は何も見えないんだ。普段はそれっぽいこといってるけど実際は何も見えてないんだ。」
一呼吸、間が空く。
彼は河原からお気に入りの小石を探すときのように、丁寧に言葉を捜していた。
「でもね、ほんの少しのことはわかってるんだ。すごく当たり前なんだけど、すごく大切なこと。例えば今日は新月で、月の光は見えない。でも月がなくなっている訳ではなくて、そこから三日月や上弦だったり下弦だったりを経て、みんなを照らすきれいな満月になるんだ。醜いアヒルの子じゃないけど、こいつはどんなになったとしてもきっとどこまでもこいつのままで、凡庸な言葉だけど、無限の可能性を秘めながら同時に不変性を持っているんだよ。」
興が乗ってきたようで、静かに語ろうとしているけれど頬は若干紅潮していて、目は私ではなく夜空のはるか遠くの何かを見据えていた。彼ならいつか月のウサギに出会えるのかもしれないななんて思う。あの激しい自己嫌悪と後悔はそのままに、それ以上の愛情が湧いてくる。そして酸欠の脳にはそれ以外を考えることはできなかった。本当に大好きだ。君のために生まれてきたんだ。この感情が単なる男女のそれで片づけられないことを知っている。これは彼に出会ってから、いや彼にしか抱けなかったもの。デジャブの正体。
私がじっと見つめているのに気付いた彼は少し気恥しそうに頬を書く。
「まあこれも結局わかってる風かw」
「ううん、わかるよ、コウ君の言っている事」
「そう、そっか、ならいいんだけど りりむちゃんはいい女だね」
「なにそれw」
「わかんないw ちょっと疲れてんのかなw」
私も視線を夜空に移す。月は相変わらず暗闇に隠れていて、その位置させ知らせなかった。
ねえコウ君、コウ君が猫になることさえ許可してくれれば私たちはずっとこうしていられるんだよ。言葉は使えないかもしれないけど、もっと大事なところで繋がってるよ。だから私たちならきっと大丈夫。面倒くさいしがらみなんて全部忘れてさ、りりむが全部お世話するから色んな所に行っていっぱい写真撮ろうよ。ずーーと、このまま、死がふたりを分かつまで。それって素敵なことじゃない?
そんな意味の話をしたかった私。幼い私には全てを伝えられるほどの語彙力もなく、自分の心ありかを把握することさえままならなかった。けれどとにかく私の醜いエゴを全部彼に知ってもらいたかった。実際にもう一度今日に閉じこもる世界を作ることだって不可能じゃなかったはずだ。
でもだめなんだ。彼が私の罪を有耶無耶にしようとしてくれる今、その流れに乗らなくては私は一生私を呪い続けてしまう。
彼は疲れたのか、いつの間にかスース―と寝息を立てていた。
その寝顔はとても傷つきやすい水晶のように、儚く綺麗だった。
そして私は体育座りに体勢を変え、あっちの世界の毎日を思い出す。それは幸せで、温かくて、無条件に永遠が保証されているものだった。でも私はこちらの世界を選んだ。彼はきっとそう遠くないうちに私から離れる。そこに当人の意思なんてものは関係ない。世界に既定されたルールのようなものなのだと私には肌で分かっていた。止まっていたはずの、彼が止めてくれたはずの涙がまたあふれ出す。彼を起こさないように必死に口元を抑える。
そうしてうずくまっていると頬に温かい感触がする。横を向くとあの猫がそこにいた。何故ここにいるのか、そもそもその猫は本当にあの猫なのか、涙で滲んだ視界では判断出来なかったはずだったが、そんなのはどうでもよかった。その猫は私を心配するようにすり寄って、頬を時々舐めてきた。それが大切だった。
その優しさは彼の無責任さと重なった。
「君はいつもずるいね」
ならばこちらもそれ相応のずる賢さを持って応対しても文句はないだろう。
右手で寝ている彼の前髪をそっとなでる。
彼の穏やかな呼吸は確実に前へと、終わりへと進んでいた。
左手で抱いていた猫を解放する。
さようなら、私の宝物。
両の手を夜空に掲げる。
ああ、今夜は本当に


「月が綺麗ですね」

「意味わかって言ってる?」
聞こえないようにつぶやいたつもりなのに、そんな声が返ってきた気がして後ろを振り向く。
彼は目を閉じたままで、真実は分からずじまいだった。



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