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イラン映画を見て「報われない恋」に想いを馳せた話(「恋の街、テヘラン」の感想)

「イランってどんな国なんだろう?やっぱりムスリムの戒律を守る厳格な社会なのかな?」と構えていたが、この映画を見てイランに対するイメージが変わってしまった。イラン人も私たち日本人とあまり変わらないんだという点を発見できた。それは『どこかにある恋』にぼんやりとした憧れを抱き、目の前にそれが現れた時に一喜一憂するということだ。

今作はテヘランで起こる“上手くいかない”恋のストーリーを3人の主人公が描いている。

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1人目の主人公ミナは、ダイエットサロンに通うも思い通りに食事制限ができず痩せられないふくよかな女性。彼女が務める美容クリニックには、女性だけでなく男性患者も多く集う(ちなみにイランでは男性も美容を気にかける人が多いのだとか)。ミナは、イケメンの患者を見つけると、カルテからこっそりと電話番号をメモする。というのもミナのもう一人の自分である“美女のサラ”に扮して電話を掛けて、デートの約束を取り付けるというゲームに興じるのが好きなのだ。デート当日、イケメン男性は約束のカフェで“美女のサラ”を探すが、その姿を見つけることはできない。代わりにミナがこっそり裏で隠れて、イケメン男性の姿を見つめているだけ。自分ではない自分を演じることで、イケメンとのデートを取り付け悦に浸るミナ。だが実際にデート当日になりイケメン男性を目の前にすると彼女は「透明人間」のような存在になってしまうのだ。彼女は自分の容姿のこと、うまく行かない日常のことなどむしゃくしゃすることがあると特大のアイスクリームを食べて自分を慰める。そんな人間らしい姿が何ともいじらして愛らしいと思ってしまう。

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もう一人の主人公へサムは、しがないスポーツクラブに勤務する元プロボディービルダー。年寄りの運動サポートばかり担当する、そんな退屈な毎日を送っていた彼の元に、ある日ボディービルディングの大会に挑戦したいという若者シャヒードが現れる。プロのボディービルダーだった経験を活かしてシャヒードをトレーニングしていく内に、へサムはシャヒードに対して淡い恋心が芽生えてしまう。へサムは、トレーナーとして自分を信頼してくれるシャヒードへの気持ちを隠しながら接していくが、彼の意思に反して、シャヒードを想う気持ちはどんどん大きくなる。

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3人目の主人公ワヒドは、モスクに雇われて葬儀の場で追悼の歌を披露する男性。彼は婚約者に振られ意気消沈していたところで「ウェディングシンガーとして働かないか?」というオファーを受ける。とはいえ葬式でしか歌を歌ってこなかった彼の歌声はどうしようもないくらい悲壮感が漂っていて、結婚式の晴れ舞台ではあまりにも不釣り合い。当初は彼も嫌々ながらに歌っていたものの「あなたの歌、結構素敵よ。」と言ってくる女性が現れたことでワヒドの気持ちに変化が訪れる。

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今作に登場する3人の主人公(ミナ、へサム、そしてワヒド)は、自分の身に舞い降りた恋に舞い上がり、結果空回りしたり振り回されたりする。その様子はとても愛らしく、遠い中東の国で起きていることなのに「そうだよね!恋すると人間不自然に振舞ったりしちゃうよね!」と共感したくなってしまう。しかし現実は、自分の妄想通りには進まないのが、恋の歯がゆさだ。3人の恋模様は、ストーリーが進むに連れてだんだん雲行きがあやしくなってしまう。

今作を監督したアリ・ジャベルアンサリ監督はこう言っていた。「報われない恋こそ、詩や物語を生み出す。」曰く、人は人生の中で「生涯でたった一人の相手」に出会うために、あくせくと奮闘する。しかし、自分が「生涯でたった一人の相手」だと思った相手への思いが報われなかった時、人はやり場をうしなった気持ちを、詩や物語を紡ぎ出すことで昇華させるのだ。監督は「今作では、イランを取り巻く不条理を描いた」というが、私は今作を鑑賞して「恋することの歯がゆさや不条理さ」という、もっと普遍的なテーマ感じ取った。    

【予告動画はこちら】
  https://youtu.be/VslZ3K6vi2Q