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復讐という残虐な行為すら美しくする魅惑のチベット文化(中国映画「轢き殺された羊」の感想)

チベットで暮らすカンパ族には「遂げられない復讐は、恥に値する」という格言があるらしい。

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人も寄り付かない荒野でトラックドライバーをするジンパは、革ジャンに身をまといサングラスをかけたアウトローな“いでたち”の男。自分の一人娘を唯一の生きがいにし、今日も娘を思ってオペラ「オーソーレミーオ(私の太陽)」を口ずさむ。

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そんなある日、彼はカンパ族の衣装をまとい、荒野をさまよう男と出会う。彼のいでたちから「これから巡礼にでも行くのか?」と問うジンパ。
それに対して彼はこう応える。
「そうじゃない。父を殺した男を今から殺しに行くんだ。」
そして偶然にも、彼の名もまたジンパ。同じくラマ僧に付けてもらった名前なのだった。
復讐を遂げることを人生の目的とするジンパに、一方のジンパは心とらわれていく。目的地で別れた後も、彼の頭の片隅には復讐に燃えるジンパの姿があった。

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作中では題名になっている「轢き殺された羊」を寺院に連れて行き読経し鳥葬するシーンや、立ち寄った茶屋で食事するシーンなど、チベットの宗教や文化を色濃く写す場面が数多く登場する。それだけでなく、これからジンパがひき起こそうとしている復讐という残虐な行為やジンパ自身の頑なさすら、チベット文化の敬虔さを表しているようで、ついうっとりしてしまうのだ。

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トラックドライバーのジンパも同じく、西洋化されてしまった自分にはない自分の文化の起源をジンパに感じ、心惹かれていく。そしてやがて、その姿を自分に重ねて、彼もまた復讐を追体験する。
私は「映画を見ることで心は旅に出ることができる」と思っているのだけど、この作品もまた知らなかったチベット文化を旅することができる作品だった。

【予告動画はこちらから】
https://youtu.be/h2PDCgdoZco