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なみだをふけ門太

懐かしい本を読み返しました。

『なみだをふけ門太』(金の星社・刊)。母が買ってくれた本だったと記憶しています。作者は川口半平さん。本の裏に「5年3組、長谷川忍」と私の名前が書かれていた。これは母の字ですね。1968年の初版です。

少し前に川崎の実家に戻った折、父の古い本棚の中にこの本が一緒に残っていて驚きました。かなり埃をかぶっていましたが。弟にことわって、持ち帰ってきました。

両親を早く亡くし、児童養護施設から、小学校、中学校へ通っていた門太少年の成長物語です。今回は、少年を取り巻く大人の側に添いつつ読んでみました。

強く印象に残った場面があります。

門太君が中学の同級生の家に遊びにいった時のことです。同級生の父親から、戦争体験を聞きます。第二次大戦で召集され、中国大陸に出征した。敵、味方、たくさんの死者を目の当たりにした。やがて敗戦を迎える。彼は捕虜としてソ連領に連れていかれ3年間労働を強いられたという。寒暖の激しい不毛な地での労働だ。ここでも戦友は次々と命を落としてしまう。日本の豊かな四季に郷愁を覚え、泣いた。…もしかしたら、作者である半田さんご自身の実体験が含まれていたかもしれません。

同級生の父親は、門太君に語りかけます。人は否応なく運命に翻弄される。君が今養護施設にいるのは、決して恥じることではない。今後は自分を大切にしながら学校生活を送ってください。諭すというより、励ますような口調です。共感を覚えました。

ふと、子供の頃、母が話してくれた空襲体験を思い出しました。母は、東京の蒲田出身。そこで空襲に遭遇したといいます。小学生の低学年だったという。気になってネットで検索してみたところ、「東京城南空襲」という言葉がヒットしました。1945年(昭和20年)4月15日に、大田区(当時は蒲田区と大森区)全域で大きな空襲があったそうです。

私の小学5年は、1971年。本の初版から3年が経っていました。大阪万博も開催され社会は高度成長のただ中でしたが、戦争の記憶は周囲の大人たちにまだ濃い陰を映していたのでしょう。

現在、私は当時の大人たちよりもずっと上の年齢になってしまいました。実家に偶然残っていた古い物語から、いくつかの記憶がよみがえってきた次第です。

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