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『犬王』にみる思想統制の犠牲者と名前について

友魚と犬王の出会いの場面から、当時の名前の役割と思想統制について考える。



1.亡霊と現世のものをつなぐ名前

 友魚が琵琶法師集団の覚一座に受け入れられ、名前を「友魚」から「友一」にした場面(図1)では、父親の亡霊が友魚に「名前変えたら見つけられんよーになるけの。名前しきゃ見えんのじゃけ。」と言い、「わりゃー壇ノ浦の友魚でよ。」 とつなげる。父親を含む亡霊は無念を晴らせず、成仏できずにおり、この世の者にその義務を託している。その上で、名前でのみこの世の者を識別しており、名前が彼らをつなぐ上で重要であること、また「壇ノ浦の」という所属意識が強いことが分かる。

図1:父親が「友魚」と名乗るよう説得



2.二人の出会いと再会

 友魚が演奏を始める場面(図2)では、俯瞰の視点から二人を捉え、後にパフォーマンスの場となる橋の上で出会ったことが印象付けられる。また、向かい合った二人を横から捉え、「出会い」やセッションの関係を示している。「もっといくぞ」の合図から二人がさらに白熱すると、背景が星空だけになり、背景動画のように旋回し始め、星空と融合し渦を巻く(図3)。この場面は「人は死ぬと星になる」 という言い伝えを反映していると考えられ、星は亡くなった人々を表し、二人もその中に入っていく運命にあることを暗示している。つまり、亡くなった人々の声を聞く存在になると同時に、彼らも名もなき存在者の一員であることを表していると考える。この場面が二人の死後の再会の場面でも繰り返されていることからも、名の残らなかった犠牲者の代表者としての二人が描かれていると考えられる。

図2:橋の上で向かい合う二人
図3:渦を巻く星空と二人



3.友魚と犬王にとっての名前 

 友魚が名前を聞き返され、父親の亡霊に「友魚」だと念押しされると、素直に「友魚」と名乗り、その後ためらいがちに「友一」の名を伝える。しかし犬王に「友魚」と呼ばれると、友魚自身は「友一」だと訂正し、「わしは覚一座におる。」と慌てて言う。そして「名がないと見つけにくい!」と犬王にもう一度名を聞く。成仏できない亡霊たちとのつながり同様に、盲目の友魚にとってこの世の人を見分けてつながるために名前が重要であり、名前はその人の所属も意味することが分かる。また、「壇ノ浦の友魚」より「覚一座の友一」が当時の友魚には生きていく上で大切な立ち位置だと考えていたと分かる。

 名前を再度聞かれた犬王は「比叡座の舞台にその名をとどろかす!」と言い残す。犬王は名前に対して、結果に伴う名声程度に捉えており、現世や亡霊との名前によるつながりや所属意識が薄いことが分かる。彼らが有名になった後の場面(図4)で犬王は面を外さないのかと聞かれ、「犬王の巻は作り物。俺のひた面はほれぼれするほどに美しい。」「その美しいひた面もまた仮面にすぎない」と言うが、自身で名付けた「犬王」の名も仮面や作り物であり、どこまでもエンターテイナーとしての名前や身体しか持たないと考えている。
 
 友魚は名前で亡霊とつながり、亡霊の声を聞くが、犬王はむしろ亡霊の無念や怨霊が否応なく自身に取り憑いており、それらの亡霊が犬王の巻を作り犬王自身に語らせている、いわば借り物の名前と身体なのだと捉えている。犬王の身体の異形部分がパフォーマンスごとに人間の身体部位に取って代わることは、亡霊が成仏され犬王に取り憑いた怨霊が剥がれ落ちていることを示している。

図4:面を取らないのかと聞かれる犬王



4.名前と思想統制

 友魚は覚一座に入る際、「友一」の名を半ば強制的に付けられている。犬王は両親に存在自体を無視されることで、名前を持たない。つまり名前は所属や権力によって吸収されており、人間の存在が所属場所に強く結びついていたことが分かる。犬王は自身で名付けた「犬王」の名によって、友魚も同様に自身で名付けた「友有」の名によって亡霊の声を聞き、歌うことで成仏させるが、これは亡霊が権力に依拠しない、存在そのものにつけられた名前を識別するように描かれている。

 亡霊から直接聞いた新たな平家物語を語ることは、当時の将軍足利義満にとっては好意的でなかったことから、定本を行い、二人の語る平家物語はいわば異端として排除され弾圧される。つまり、権力のあるところに所属する者はそこから名前を受け継ぎ、自身の本来の名前を捧げることで、思想や文化にまで及ぶ権力者の統一がなされていたと考えられる。そして覇権者同士の戦いによって犠牲になった兵士や女性、子供たちは、本来の名前をなくしていることが、現世の者に無念を晴らす義務を託せず、成仏できていない原因になっている。将軍の前で犬王と友魚が演舞をする場面(図5)で「思いだせ、己の名を。」と歌うのは、成仏できない亡霊たちとつながり、犬王と友魚を通して語らせることで成仏を図ろうとしているためである。
 犬王と友魚は、権力者に名前を捧げ、そのために名前も残らず無念のまま犠牲となった多くの者の代弁者であり、また彼ら自身もそのように排除された犠牲者の一員になる結末なのである。

図5:将軍の前で演舞をする犬王




レポートで書いたものの一部です。
個人的な考えが含まれていることをご了承ください。
画像は自分で撮ったものです。


『犬王』を世に出していただきありがとうございます。

湯浅政明監督. 古川日出男著「平家物語 犬王の巻」原作, 野木亜紀子脚本, 『犬王 INU-OH』. アヴちゃん(女王蜂), 森山未來, 柄本佑, 津田健次郎, 松重豊出演, 2021. “INU-OH” Film Partners, サイエンス SARU アニメーション制作, 2022.

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