見出し画像

ギターの練習動画と贈与

 私にとって高中正義さんはギターの神様なのですが、昨日なにげなくネットを見ていてこの動画を発見しました。

 この動画の元の曲は高中さんのかなりマイナーなアルバムに入っているため(Boz Scaggsの名曲のカバー)ギター練習用のTab譜などもなく大好きな曲ですが練習することはできませんでした。

 ところが!この動画ではTab譜を見せながら速度を80%、60%、50%と分けて弾いてあり、曲のチャプターごとに見出しもついているというまさに神動画。このクリエイターの方の練習用動画は他にLe Premier Mars、The Moon Roseなど高中ファンが泣いて喜ぶシブイ選曲で有頂天になりました。

 早速練習しながら、「いいね」をして、感謝コメントも入れたりしてました。感謝の気持ちを伝えようと(たいした金額ではないですが)スパチャもしたのですがここでふと考えたのです。

 これは贈与なのか? 経済交換なのか?

 贈与論で言われていることは、贈与と経済的交換は違うということで、デリダによると贈与を意識したとたんにそれは経済交換になる。今回のケースは贈与する人、される人、贈与されるものがはっきりしておりこれは経済交換なのかな?と思いましたが、自分の感覚として納得感がない。

 少し深堀りしてみました。
 この動画が贈与であるとはどういうことか。
 
贈与する人(クリエイターの方)の観点(想像です。すいません)
  Youtubeはクリエイターの方に一定の報酬制度があることは承知していますが、かなり視聴がないと実質的な報酬金額にならないと聞いています。
この動画を作るには少なくとも①原曲耳コピ②譜面起こし③カラオケ作成④演奏⑤動画編集などなどの作業が必要で経済性という観点ですぐに見合うものではないと見受けられました。(本当は見合うほど視聴があれば良いと思いますが)。
 ご自身でもスタジオを経営されていらっしゃるようでその宣伝の意味もあるとは思いますが、コメントを拝見する限りギター練習している人への贈与的な感覚は意識されていると思いますし、視聴者の感謝の言葉がモチベにつながっているかと。
 交換の見返りということが意識されているというよりも、クリエイターの方の自己犠牲があることによりこの動画は贈与の属性を帯びてきたものと考えます。

贈与される人(私)の観点
 私が自分でこの動画と同じようなものを個人で作成することは自分の能力では不可能、外部委託して作ることは可能かもしれませんがかなりの金額が必要なため、それも無理。この曲が好きな時間が30年以上であることを考えるとこの動画は私にとってはPriceless。
 そういう意味でこの動画は、「見知らぬ人」から「贈与」されたものであり、返礼もご本人にはほぼできないものになります。(感謝の気持ちは伝えられますが。。。スパチャくらいではなんのお返しにもなってない。。。)
 

 これが経済交換ではないと感じるのは、このやり取りは動画というコンテンツの視聴を介しているけれども、全く等価交換が成立していないということではないかと思います。
 そういう意味では私にとってはほとんど「純粋贈与」であり、私の練習意欲が強烈に活性化され、「贈与」が人間を活性化する、ということについて、再確認(笑)いたしました。

 Youtubeプラットホームの贈与サイクルへの貢献は多大なものがあり、ある意味での「太陽の贈与(純粋贈与)」的なものを可能にすると思いますが、このプラットホームを成立させるには、背後にリアルな経済交換に支えられたビジネスモデルが必要なわけで現代における贈与と経済交換のモデルの不可分さみたいなものも改めて感じました。

 贈与の返礼義務は贈与者に対してのみ向けられるものでもないので、この感謝の気持ちをいつか誰かに何かの形で返礼できていれば良いなと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?