雑記(18)

2020年3月25日、生駒山の中腹から大阪平野を望む、雑然とした街だが案外綺麗に見えた。

コロナ危機の渦中に世界を横目で見ながら、少々背筋が凍る未来像に気付いた。それは経済の力関係が劇的に変わり、結果表現の自由を脅かすかもしれないと言うことに、勝手に気づいた。

このまま世界がコロナに恐怖し萎縮経済が続けば、ほぼ全ての業種は沈没し相対的に医療関係だけが急浮上する。辛うじてネット通販や小売の一部が現在活況だが、それも消費者に体力がある間の供給と言え、やはり徐々に勢いを失うだろう。残るのは軍需と医療関係だけである。もう既にその色は濃厚になりつつあり、1部メディアは医療関係のスポンサーに配慮した発言ばかりになって来た。

医学の専門家の意見を垂れ流すのもいい例だ。

専門家は医療係企業に顔が利く、もうそれは絶対的な癒着関係と断言しても差し支えない程に、べったりしっかりだ。

現状世間も知る様にコロナ危機以後どの業種も戦々恐々の有り様で、メディアのスポンサー処ではない、自社が生きるか死ぬかの瀬戸際であろう。実際大企業でも死に体の会社もある。それぐらい今回の経済封鎖は企業にとって甚大なダメージを与えた訳だ。これが続けばどうなるか、誰でも想像ができるだろ?

そんな大中小の企業体が悲鳴を上げる中、医療系企業だけはウハウハだ。当然だろう万民に必要とされる聖職者の領域に、唯一手を貸せるのだから。感染症流行の現在彼らほど力を持った企業はこの世に存在しない。世界を動かし生命を牛耳り行政を掌握、メディアを籠絡そして経済を寸断した。

彼らはこれらの事を全てウイルスの責任し、末端の医療従事者達を前戦に立て患者と共に苦悩する姿を見せながら、ますます増長の度を強めて行く。そして事実上もう誰も勝てない程の力を手に入れる。それがメディカルエキスパートおよびメディカルカンパニー、黄金のゴールデンコンビが利益と発言権を独占する世界企業種に急浮上した。

言論の自由を自認する報道メディアも人の子、どんなに正論を望もうと食って行かなければならない、飢えて死んだら言論も何もないから、力あるスポンサー企業にはジャーナリズムも逆らえない。ネットメディアも同様だ、広告で生きてる媒体は総じて金を出す主人に従順になる。ならざるおえない、限られた言論の自由を守る為に。

広告収入に頼らない媒体でも権威ある医学の影響を無視できない、政治家だって同じだ。最初から選択肢なんて無いのが本当だろう、専門家の意見はそれほど神仏の声になってしまった。どんなに宗教家が否定しようとも。

だけど俺は怒ってない、メディアは感染症に発言権もなければ人の死に対する責任も取れないわけだから。むしろ哀れとも思える、これは本心だ。

しかしな、人の生命に対する責任など誰にも取れない、医者でも同じだ。医学がこの世で唯一生命を預かる職業だと勘違いしているに過ぎず、それを世間が盲目的に認めているだけである。本来生命とはすべての人に平等に与えられた権利であり、それを全うするのは義務ですらある訳だ。

だったらその義務を簡単に人に預けず、心ゆくまで選択を吟味し検討するべきだ。

残念ながら医者は神仏でもなければ万能の賢者でもない、絶えず失敗を繰り返す人間である。その失敗する不安定な人間に神秘である人体を丸投げするのは、危険を通り越してもはや無謀ですらある。医学以外に生命を委ねる選択肢は必ずあるはずだ、探せ、この世の果てまで行こうとも。

俺は探した、医者に見捨てられても簡単には諦めなかった、見苦しい奴だから。

とにかく赤貧を洗う境遇でも権威や権力に屈せず言論の自由を守り通す気骨あるメディア以外では、やはりSNS等一般ユーザーの大衆メディアだけが言論最後の砦となる。大手メディアの大半は既に医学の奴隷で、医学博士の発言に反論する事はない。日常的に露出している既存メディアで批判的な意見をほぼ聞いた事がないから、俺の懸念は現実味を帯びて蔓延していると断定できる。だろう。

感染者に違う病症の薬剤を手当たり次第投与する、世界を股にかけた壮大な実験場が展開されている。それにメディアは一言も批判しない。医学の専門家が安全だと言えば何でも肯定するから恐ろしい限りだ。不幸な大衆の未来を思うと前途はどうなるか?俺は言わない、自分で想像してくれ。

俺は飢えて死んでも世間的に成功しなくても平気と言えば平気だ。死ぬ時苦しいのは嫌だけど、成功はもう全く望んでない。望んでたら宗教の話しや医学批判は絶対しないから。

ネットができる間は続けていたいけど、無理矢理締め出されてもアナログな楽しみを見つけられる自信がある。何故なら空見て時間を潰せる人間だから。いざとなれば貧乏人の救世主・図書館もある。探せば何とでもなるっす。

他の業種と医療関係を打つける考えはない、しかしこのままの状況が続けば生き残るのは医療関係だけ。こんな事を言うのは皮肉に聞こえるかもしれないが、メディアに露出するほとんどの人が生活にゆとりのある人種だ、崩れ落ちる人達の心に寄り添ったフリをしても、権威や権力に盲従するのなら、何を言ってもそれは綺麗事でしかない。いずれ誰も心を揺さぶられる事はなくなるり、冷たい視線が送られる。

本心は言いたいはずだよ、感染しても良いから自由をくれって。食える人達以外は、潰れない人達以外は、皆んな最後は叫ぶ様になる。今は我慢強く従う事が正解だと思いたいだけだ。

怖いもんな、自分だけ周りと違う事を言えばどんな目に合うかわからないご時世だから。今は我慢、我慢だ。

そして収束しなければ、その我慢の糸は途切れる瞬間が来る。

しかし収束すれば専門家が自分達の功績を主張する、収束は良い事だけどいっときだけかもしれないのに。一時的でも収束させればその手法にお墨付きを与え、次の感染症時も同じ事を繰り返す様、皆を指導するはずだ。

繰り返す繰り返す繰り返す・・・

今日はこれまででゲス。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?