雑記(10)

2020年3月12日桜咲くこの日頃。

まるでこの機に乗じたように現代西洋医学を批判した以上、生きてる間の俺は社会人として沈んだままの状態が続くと思っている。

ただずいぶん遠回りしたが1番言いたかった事がこれなんだと改めて気付かされた、そして発言してスッキリもした。やっぱり勇気いる、世間の常識と180度違う考えを述べるのは、たとえそれが正しいと思っていても、正しいと思う事がすんなり通る世の中じゃない事も知っているから。

振り返ってみるとこの事が常に心のどこかで引っかかっていた俺は、中途半端にネットの中で群れる事を敬遠していたのかもしれない。現代西洋医学を批判する事で想定できる周囲の反応を考慮すれば、独立独歩の方がかえって身軽なわけだ。攻撃も無視されるのも俺1人で十分だから、交流のあった人がこの事で傷つかなくて済む。現在は本当に他人との会話も必要なくなった、したいとも思わなくなった。これは本心だ。

大切なのは記憶に残すよりも記録に残す事、人類が危機に直面したとき医学以外の選択肢を用意提示するための記録だ。誰かが見ていればどこかでこの記事を思い出し、検討するかもしれないから。今は相手にされなくてもただひたすら自分が知った事を黙々と書き続けるだけ、他には何もない。

だから俺の考えに今賛同するのはやめてくれ、立場の違いは色々あるけど他の人達は専門家の意見を事務的に淡々と実行し、職責に応じた懸命の対応をしていれば、問題が紛糾しても致命的な責任には及ばない、また及ばないように適切に先を読んで対処した方がいい。

何故なら中長期的に見てそれが英断だとしても、短期的には必ず致命傷になるから、俺は個人だから潰れるのも俺1人だけで済むけど、他の人は違う。まず正しい事を行使発言しても時と世間の空気が味方してくれない、絶対袋叩きに合う。

これは中世ヨーロッパの魔女狩りと同じで、もしウイルスが終息しなければ今まで理性的に振る舞っていた人達も豹変し、絶対に石をぶつけてくる。不安と恐怖と焦りが込められた怒りの石を、どこかのタイミングでぶつけたがっている、それが群衆心理というものだから。

もうその流れは出始めていて、まだまだパンデミックの初期の段階で人心の忍耐力は切れかかっている、これが本格的に長期化すればその時はどうなるか?想像すると恐ろしいから書かないけどね。

とにかく専門家の意見を尊重して周囲の人達は対処するべきで、間違っても俺と歩調を合わせてはいけない。大切なのは時を見極める事でそれは今じゃない、適切にできることだけを実行していれば、必ず風向きが変わってくる瞬間が来る。それまでは歯を食いしばって自重した方が、後々貴方達の必要とされる時が訪れる。大袈裟かもしれないがウイルス終息の時期によっては、想像を絶するパニックが起きるかもしれない、でも残念ながら人類全体の価値観が変わるには、多大な犠牲とパニックの先にしか変われないものだから。

でもそんな最悪の結果より、ウイルスの自然終息を祈るとしますか。

今日はこれまで。


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