雑記(6)

2020年3月6日昨日バイクで奈良散策中、今年初めての雪を見た。厳密に言えば霰混じりだったが。

新型コロナに2種類の型がある事が判明した。型の分だけ対処が難解複雑になるのは自明だが、2種類だけか?と疑いたくなる。

なぜならウイルスは微生物、微生物はいつでも変化を遂げられる。なん10種類あってもできても不思議じゃない。

世間の懸命な努力に水をさす様で心苦しいが人類のためだと思って忠告しておく。

ウイルスなのど微生物はその気になれば強力な拡散力・強毒性・多剤耐性を持つ事が可能、しかも感染者の特定と発症の有無まで難解にした新型コロナの例を見てもわかる様に、その性質変化は無限大だ。

だからこそ感染症に対する製薬は難しく、抗生物質などから製薬会社は手を引く様になる。発展途上国の国家予算並みの開発費を投じても、微生物は1年を待たずに性質変化して数ヶ月を要さずに耐性を獲得する。その変化スピードが年々加速しているのは世界の共通認識だ。民間だけでなく国家が開発に携わっても財政を破綻させるのに十分な威力を微生物達は持っている。

新型コロナに別の病気の既存薬剤を何種類も試すのは苦肉の策と言える。効果の有無にかかわらず投薬の実施によって微生物が耐性を獲得し、なおかつ変化を助長する事のなきよう俺からお願いする。

それに追い討ちをかけるが感染が1人1種類だけとは限らない、同時に数種類のウイルスによる感染も普通に考えられる。そうなればなりふり構わずワクチン及び抗菌薬などをバンバン人体に投じた結果、体内の微生物がバランスを崩しウイルスや細菌が耐性を獲得、それらが強力に拡散されれば今度こそ人類は終わりだ。

そうならないように医学の専門家は微生物に対する認識を早期に改めて欲しい。

人類は感染症との戦いの歴史である。

だから今回の新型コロナウイルスもその1つぐらいに思っているとすれば大間違いだと警告しておく。明らかに性質に進化を感じた。発症しない保菌者が大半で拡散力の強弱までまちまち、なのに持病を持った高齢者は致命症になる。つまりステルス機能を持ったウイルスとも呼べる。専門家や医療従事者がパニックを起こすのも当然と言える。

こうなれば人類全部にワクチンを投薬しなければ事実上封じ込めは不可能という事に、しかしワクチンでウイルスが完全に死ねばそれで不安は解消される訳だが、そうはならない。ウイルスと微生物に次の変化をもたらす事は簡単に想像できる。

必ず余計なことをした分量以上の微生物達の反撃を食う、微生物を生態系と生物の観点から大所高所で研究する学者にはわかるはず、ただ純粋に微生物愛の強い学者はとても力が弱い、学者界にも世間と同じで力関係が厳然と存在する。情けない話だが、微生物に限っては医学疫学関係に予算がつきやすい、発言力も桁違いだ。現在メディアで露出しているのは医学側の専門家がほとんどで、純粋な微生物学者はほとんどいない、と言うかほとんどゼロだろ。

力関係もそうだが世間は都合の良い耳障りの良い意見と、困難で不便でもわかりやすい対処方法を希望する。人類や生態系・生物学の観点などの迂遠な学説など聞きたくもない訳だ、ましてや微生物は生態系の頂点に立つとか、変化と進化のスピードに絶対医療は対処できない、など口が裂けても言えない。言えば学者世界で生きていくのが困難になるから。

俺が図書館で読んだ本の中にも元世界保健機関WHOの微生物学者が、内部対立のあげく機関から距離を置いたと書いていた。その人たちは本当に真剣に微生物の立場から研究する希有な学者だったが、そんな人間ほど研究以外の軋轢を嫌う。それが残念だ。

これでもわかる様に医療に肯定的な意見ほど世の中では享受され称賛もされる、ごく稀に否定的な見解を述べればそれだけで非難の対象となる。医療以外に命を預ける選択肢が無いと思われた結果の笑えない現象とも言える。

もはや医療は神仏に代わる聖者の地位を得た、従事者の意思とは関係なくその影響力は肥大化する一方、それを証明する一例が今回のコロナ騒動。多くは言わないが極論すれば恐怖の洗脳であろう。それ以外の言葉が思いつかない。

黒死病は中世ヨーロッパの約半数の人命を奪い去った、それを乗り越えた人類は今度も乗り越えて行く、そう思いたいが、恐らく現在と過去の歴史上、今ほど人類が破滅的な方法で自然に対した時代は無かったであろう。

このまま人類の横暴を見過ごしては地球や宇宙がどうにかなる、だから自然の摂理と法則が微生物を使って人類に警告を与えたのだと、疫学に沿って家畜を皆殺しにした姿を見て俺個人はそう思った。

これは救いようが無いな、と。

根本的に考え方を改める時が来た、それとももう遅いのか、それはわかりかねるが。

何度も言うように微生物には意思がある。

微生物に意思がなければ人体は形成できない、粒子にも近い微細生物達が単純な思考と行動パターンで個々別々に活動すれば、絶対人体を造形できる理由がない、できてもせいぜい単細胞生物がうろうろするだけで、形体と呼べるものにはならないだろう。

受精卵から細胞分裂と増殖を繰り返し形体を有し、人体にまで昇華させたとすれば微生物に意思を伝えた何者かがこの世界に存在しなければ説明がつかない。それぐらい自然に人体造形を可能にした微生物達は神秘の存在である。

決してバラバラに単純な思考しか持たない存在ではありえない。

電気を源流にした人工知能と原理は同じ、電気がプログラミングを理解してやっている事が神秘、ほかに説明のしようがない。

だから今の専門家は表面や目の前で起きる現象だけしか見ていない、小手先の技術や学説で神秘のウイルス微生物達をコントロールできるわけもなければ、人類を救う事もできない。

ウイルスは意思を持って活動している。人体を造形した微生物と同じレベルと水準で、活動しているわけだ。

神秘を認めない唯物主義では理解できないか?

残念無念。

では今日は以上です。

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