雑記(7)

2020年3月8日雨の日の正午、カップ麺を食べた後の執筆。

医学と科学は違う、全く別物だと考えるべきだ。

医療は医学的カテゴリーを独自でいくもので現代サイエンスとは完全に切り離して語られなければならない。情報も同じで医学と科学のデータ収集は根本が違う。

有効な治療法が確立されているとする季節性インフルエンザで年間1万人以上の死者数をだす医学を、自動車メーカーで例えると市場に出してからドライバーの運転ミスに関係ない車体の不具合で1万人以上の死者数を出したらどうなるであろうか。

自動車メーカーは即倒産だが、医学は責任と能力を問われる事なく権威を失墜させる事もない、日本だけで年間1000万人の感染者と1万人の死者数を垂れ流してもその存在が揺らぐ事もない。

こんな物が科学の訳がない。

人の生命に関係するのはどんな業種でも同じだ、安全性や性能には血の滲むような研鑽で望んでいる上に、凄まじい競争にもさらされる。医学は他業種との競争にさらされない分、聖域とも呼べる。しかも現代医療はほぼ西洋医学に偏っている。データも西洋医学の視点から算出される物で、これはやはり科学とは呼び難い、極論すれば医学信仰と表現できる。

100歩譲って治療が業種の中で最も人の生命を取り扱うカテゴリーで、市場原理を適応すべきでない、とすればせめて西洋医学以外の治療方法だけでも競争相手として正確な科学的データを収集すべきだろう。

その場合西洋医学に理念や方法があるように他の治療法にもそれぞれの理念や治療法があるのだから、データを収集するときには方法論より奏効率や治癒力などの結果論を採用すべきだ。

西洋医学の常識と違うからと結果を否定されたら堪らない、そこは厳正公平が本当の科学と言うべき。当たり前の話だが。

そもそも同じ医学の文字でも西洋医学と東洋医学ですらその理念も方法も全く違う、ただ世界的市民権を西洋医学が得たのはもともと方法論が合理的で学術的に恵まれていたからでもある。俺の見立てでは奏効率や治癒力で西洋医学も東洋医学もあまり変わらないと思う。結果論だけで突き詰めて行けば西洋医学より優秀な治療法は他にも絶対ある。

ただしどんな治療法も100%じゃない、時には深刻な結果を出す事もある。しかしそれは西洋医学も同じだ、季節性インフルエンザの例でもわかるように、データー収集は公平を1番に考えるべきで、必要なのは結果論。感情論ではない。

俺の知る限り他の治療法で施術すれば季節性インフルエンザでの死者数は100人以下で結果を出せる物もある。おそらく施術者からすれば100人は多すぎるぐらいだろう。世間に認知されてないだけだ。

大切なのは人類の健康と繁栄、そのためにも他の治療法で徹底したデータ収集を要求する。

そして疑って疑って疑り抜いても有益だと判断された療法は、その方法に関わらず研究されるべきだろう。


様々な要因が重なって現代人は免疫力が弱くなっているのではないだろうか?

陽性患者が陰性になったあとまた陽性になる例が中国で報告された。少数だが日本でも。

それはつまり抗体ができにくく体内ウイルスが死ににくい現状がある。

何度も言うがワクチンや治療薬を開発しても有効なのは一時的で、すぐにウイルスは変異する。

陽性患者が次の検査で陰性になって更にもう一度検査して陰性が出る。それほど慎重に対処しても退院後陽性に戻るのは、微生物の進化だと思うけど。その辺専門家の認識は相変わらず物理的な見解だけで、微生物の神秘性を認めようともしない。

忠告するけど微生物は人知を超えたステージで活動する意思を持つ生命体だ。

自然の摂理に徹底的に逆らった相手には徹底的な反撃を加えてくる、それに対処するために効き目のありそうな治療薬をバンバン人体に投入して、効果がなければもっとバンバン。

人間は実験台か、おう?

それからアルコール消毒が過ぎると必ずアレルギー反応を示す人が増えるけど、その辺の心得はしておこう。

消毒散布や除菌はウイルスを殺せても細菌が耐性を持って毒化する可能性がある事も警告しておく。プラスアレルギー反応。

清潔感は大事だがなんでもほどほどだ、そして自然尊重自然順応。

それを忘れて人類の未来はない。

今日は以上でげす。


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