雑記(8)

2020年3月9日桜がぼつぼつ咲き始める春の日の今日。

医療は信仰だな、とつくづく思った。

別に信仰が悪いとは全然思わんが、医学は信仰じゃない、実績を常に要求される実利の学問である。盲目的に何の疑いもなく受け入れて良いものではない事は自明の理だ。

なのに現代医療、特に西洋医学はほぼほぼ世間の厳しい裁定にさらされる事もなく存続し続けてきた。医療に批判的な事を言えば洋の東西を問わず迫害染みた非難に遭遇する。医学に対する批判がたとえ論理的合理的であっても許されない空気がこの世界を充満しているのは誰でも知っている事実だ。

現に医学の大半の分野を批判してきた俺はいつでもどこでも白い目で見られた経験を有している。何を言っても会話にすらならない、だからせめてチョロっと批判してはゴキブリの様に逃げ去るのが俺流戦術、な訳。

極論すれば医学は批評が許されない信仰であり、最も権威と資金と人材とを持った権力機関とも言える。その点では日本の霞ヶ関より上だ。

で現実の医学はどうか?本当にそれだけの規模で優遇されるべき実利学問か。

全く違うと断言しよう。

季節性インフルエンザで1万人以上、癌で35万人以上、心疾患で15万人以上、脳血管疾患で10万人以上の死者数を日本だけで毎年出し続けている。他の感染症や病気も含めればもっと多くの死者数を弾き出す。

他業種でこれだけの死者数を出せば文字通り消滅であろう、しかし現代医学は批判にさらされない。毎年毎年これだけの数の死者数を出しても批判されない業種が信仰と言わずしてなんだと言うのか、正に神聖不可侵の聖域である。

そして医学は特異で他の治療法との競合がない事で、患者の選択肢を完全に遮断し、人類はますます西洋医学に頼らざるおえない図式が完成している。

治療法の有効性や研究開発での発見ばかりがクローズアップされている事も周知の事実。

西洋医学以外の治療法や治癒法が有効性を発信してもほとんど無視され、問題が発生した時だけ徹底的にバッシングされる、世間から排除もされる。

だから西洋医学は信仰だと言う、しかも熱狂的な盲信者の集団だ。

なぜならもし医学が科学で有るならば、有効性や発明発見以外の結果も同時に比較されるべきだ。

治癒した人の数を公開して死んだ悪化した人の症例も正確に公表する。これでこそ科学的データ。都合の良い情報だけ垂れ流しているとすれば、医学は科学の分野から除外すべきで、信仰の分野にでもカテゴリーすれば良いだけの話し。

世界人類は改めるべきだ、生命を預けるのが西洋医学だけで良いのかどうかを、今回のコロナショックを契機として。

俺が知っている限り現代西洋医学より遥かに優れた治癒法は他に存在する、公平に西洋医学と比較しても絶対劣ることはないだろう。ただし方法や理念が全く違うだけで、それだけで否定されるとすれば、それは医学が人類の健康や繁栄よりも大事にするものがあると考えるだけ。

有効性だけが評価される結果論を採用すべきで、方法論や感情論は人類のために控えるべきだろう。

年間40兆円の医療費を投じながら今現在の結果しか出していないのであれば、じゅうぶん非難の対象であるべきだが、やはり信仰なのだろうか?


ウイルスが悪い、そんな風潮が世間をとりまきつつある。だから『ウイルスを撒き散らしてやる』などとする陽性患者が現れるのか。

こんな悪意は論外だが、俺の主張は自然に感染する場合は受け入れて、体の調子と相談しながら日常生活を普通に過ごすべきだと思っている。でないと専門家の発言を盲信したままでいるといずれ負のスパイラルが発生し、その時は多少の善意が及ばないほどの悲劇に遭遇することになる。少し考えればわかりそうなものだが。世間は右から左まで専門家を神様の様に従っている。

不安材料(1)恐怖の洗脳から感染者をバイ菌扱いする人達が増加する。

(2)収束しなければ確実に経済が破滅する。

(3)感染を恐れたために体内に抗体ができず、次の新型ウイルス・細菌に適応できない。

(4)他人の生命を守るためだと言って重過ぎる責任を個人に負担させる。

(5)中世ヨーロッパ魔女狩りの様な現象に襲われる。

(6)博打みたいな治療が施術される。ペストの時の様に。

とうとう。

他に幾らでも想像できるが、この先恐怖の洗脳が続けば人はパニックを起こし完全に偽善は吹き飛ぶ。ウイルス感染よりもっと恐ろしい様を見ることになる。

まあ多大なる犠牲の結果でしか本当のモノが見えないとすれば、仕方ない過程なのかもしれない。

でも嫌われる事覚悟で何度も言ってやる。

ウイルスは悪じゃない、人間の都合で悪にされてしまった不幸な微生物である。

もしウイルスを悪とみなし攻撃するならウイルスや微生物達も攻撃側を悪とみなし反撃するだろう、今がその時だ。なんせ家畜を皆殺しにしてきた経緯もある、自然の摂理に順応している微生物達からすれば人間の方が悪党だ。違うと言えるか?

潜伏期間が長いのも人体の微生物と会話している証拠だ、微生物がその気になれば人間などなんとでもできるってね。

今日最後に一言。

大切なのは自然順応、自然尊重である。

以上。


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