雑記(15)

2020年3月20日、精華町へバイクで散歩、帰りにホームセンターに寄ってティッシュペーパーを2パック購入、な今日の午後。


ある人が海岸で釣り糸を垂らしていた。

そこに撒き餌を投げると大漁の魚が群がる。

集まったのは賢い魚達で、釣り糸にはかからず撒き餌だけ食らって腹を満たす。

しかし強大な網が投げられ賢い魚達は一網打尽にされましたとさ。


元官僚の魂の手記がメディアで公開され、俺は最初それに小さな正義感から何気なく飛びつき訴えられた方を非難しツイッターで呟いた。だが俺は成り行きを見ながら違和感を感じて、ロイターのツイート記事に反省ツイートをつぶやく。

なぜこの件に慎重になったか漠然とした理由がある。

本来なら被告側の致命傷になる訴訟であるはずが、相手方はとことん強気な発言を繰り返した。どう考えても今回は逃げようのないネタである、それなのに彼らは堂々とこのネタに付き合うつもりはないと断言したのだ。

これらの態度が単なる開き直りなら事は単純だが、このご時世どんな連中が動いてなにがあるかわからない、だから反省ツイートを送信したわけだ。

慎重になったのにはもう一つある。

それはなぜこの時期なのか?

ご存知の通り現在コロナ危機で世間は未曾有の非常事態だ、それなのに緊急事態に訴えが埋没するかもしれない現状で、大切な手記を公開するのはあまりに無謀と言わざるおえない。コロナ終息を待って公開すれば平時ならじゅうぶんインパクトのある爆弾ネタである。なのにこの時期?

当然被告側をコロナと並行してとどめを刺しに来た、とも考えられるが、明確な訴えの根拠としては希薄な理由だ。

本来ならツイートの反省文だけで終わりにしたかったが、愛する親族を失った勇気ある告発であれば、黙って原告側を孤立させるわけにはいかない。手記が本物であればこれからも正々堂々と相手を追求すれば良い。

しかしもしこれらのネタがフェイクもしくは作為なら、それに群がった人達がまとめて叩き潰される事態につながる。正攻法のメディアも一般の総意ももはや強力な力に反論や意見を言えなくなるだろう。形を変えた言論封鎖が成立する。

メディアの体質が正攻法であればあるほど、陰険な謀略に脆いところがある。1度信用を失えば当分積極的な発言はできなくなる。そして折角ネットで手に入れた大衆の発言権も同時に奪われる。失敗しながらでも学び、思考の完成度を高める新しい大衆メディアも沈黙する。だからこそ手記の信憑性は徹底検証されなければならない。

本物ならば公明正大、とことん真実を追求するべきだし、フェイクなら絶対許してはいけない。仕掛けた連中を骨の髄まで明るみに晒さなければ公は保てないだろう。

俺は一般人、手記の筆跡鑑定などできるわけもないから、せいぜい事実を交えた妄想で終わる。でももし誰かが手記をAIとプロによる筆跡鑑定で解析してくれれば、勇気ある告発に公のお墨付きを与える事になり、メディアも大衆も安心できるわけだ。

疑えばキリがないし、告発者には負担をかけるが、ここは慎重の上にも慎重になって過ぎる事はないだろう。

それぐらい世の中は色々あるから。

今日は以上です。


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