雑記(17)

2020年3月23日午前10時ごろ、ああ!バイクで散歩したい気分の今日だ。

未知であれ既知であれ有効な治療法がない感染症が蔓延する度に、経済活動や人的行動に限りなく停止に近い制限を加え続けるとすれば、人は全てを我慢しながら生命を管轄する医学だけに国の予算を持って行かれる事になる。

ご存知の通りバイオテロでもない限りウイルスなどの微生物は自然に発生し自然に収束する。しかもバイオテロの拡散は自然と違い感染力が鈍く、微生物界の生存競争に絶対勝てない為、やはり淘汰される。これだけ悪意に満ちた世の中なのにバイオテロが成功しないのはそれが理由だ。

自然はそれだけ人力や人知を超越した次元で活動し、特に微生物達は人類の遥か以前から過酷で凄惨な生存競争に勝ち抜いてきた。誰がそんな者に勝てると言うのか、少し考えればわかりそうなモノだが、どうやら世間は俺とは違うベクトルで考え行動している様だ。

微生物が自然発生自然終息ならば事実上、間を置かないで治療法の有効・無効に関係なく感染症の同時発生はあり得る。そうなったらどうするつもりか?相変わらず封じ込め作戦の暴挙を実行するつもりか?サーズやマーズ・様々な感染症に有効な治療法を確立できなかった現代医療に、ワクチンや治療薬の開発を期待し、他の人類は感染症が終息するまで餓死寸前で我慢するつもりなのか?

これは極論じゃない、微生物が単に生存競争を優先させる存在なら、いつでもどこでも感染爆発を起こし、人類を殲滅するなどいともた易い事だから。有機微生物の塊りである人間に最初から逃げ場などない、ウイルスと人体内の微生物が全く別物だと思い込んでいるとすれば、なんと都合の良い解釈か。その都合の良い解釈で自然や微生物が動いてくれると人類の未来は安泰だね、やったぁぁあ!

これから執筆するのは本来の俺の考えとは違う。それでも対処法としてはそこそこ有効だと思い勝手に記録する。

集団免疫について専門家は即断で危険性だけを主張するが、知識はあるくせに工夫ができんのか己らは。誰も自分からウイルスを撒き散らしたり、自分から進んで感染しろ何て言っとらん。何1つ知恵を絞らずリスクだけを論じるだけが専門家や有識者なら、おそらく学生の議論の方がズッと建設的な意見を見出せるだろう。

どうにもならない責任回避と権威の維持だけで、この世の知識階級は回っているのだから、大衆は不幸だと言える。だから俺の様な専門家でも有識者でもないゴミ屑が発言しなくてはならなくなる訳だ。

現段階において新型ウイルスは基礎疾患者に致命症を起こす。これは高齢者の中にも無症状者がいる事を考慮すると、1番リスクが高いのが基礎疾患者だと考える方が適当だと言える。これにより一括りに高齢者イコール危険とするより、活動範囲・病症リスクに細かい絞り込みが可能となる。行政としても経済活動の指針が立て易くなる。

当然の事ながら年齢が上がるほど生活習慣病などの基礎疾患者が増える、高齢者が亡くなる率が高いのは自然の成り行きだが、高齢者じゃ無くても基礎疾患者はリスクが高いと想定して対策を講じるべきだ。できれば高齢者でも健康な人はリスクを考慮しながらでも、日常生活を普通に送り感染しても免疫をつける方が、引きこもりによる精神不安や運動不足で免疫力・自然治癒力が低下するより、健康的だと思う。

そしてこれは先の未来に発生する感染症にも有効だと言える。なぜなら感染を今回は回避して免疫を持たないと、次の感染症に対して体内微生物が順応し難い現象が発生する。現代医学の感染回避・封じ込め作戦を実行すればするほど、体内微生物は古い形のまま残る事になる。

人間は他の生物ほど強くない、だからこそ知恵を発達させて来た。そんな生物としては決して強くない人間が、感染症を恐れ続け体内の微生物を旧態依然のまま留め置くとすれば、種としての人類はますます脆弱になり、結果健康は失われ自然淘汰へと進んでしまう。

これらを踏まえると、現代医療は薬剤や治療に特化するより、人間の健康増進を推進する方策を提起すべきである。人の生命と健康が大切だと思うなら、免疫力や自然治癒力を減退させるだけの治療法は厳に謹み、人類の繁栄のためにのみ賢者の道を示すべきだ。人類の大半が健康になり薬剤が売れず治療法が不必要になっても、それこそ医学者の望むところだ、と思うよう願いたい。

自然尊重・自然順応、この言葉を全ての医学者に送る。

今日はここまでとする。

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