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『待つ』と言う幸せ

この数年わたしは、あるものをずっと待っていた。待つ過程で、心と体はジューシーミキサーでかき回されるみたいにグチャグチャになった。少しずつそれらを元ある位置に整えるために、自分自身の存在に集中し切った。わたしはなにが好きでなにが嫌いなのか?わたしはどんなことが有ればどんな感情が出てくるのか?全て外側ではなく内にあるものだったから、一つ一つ丁寧に観察するにはある程度の時間が必要だったのだ。大人になるまでに手に入れてきた価値観や考えを一旦全部手放して、まっさらな自分になろうともした。そして、長い時間をかけて『今』と言う空間に至ったが、ここに辿り着くまでのあの道は平坦でもなければ舗装されてもおらず、むしろあちこちに地雷が埋まり凸凹の道だった。一歩踏み間違えれば、私の心は爆発した。それなのに、今振り返ってみると、なんとも『かけがえのない愛おしい時間』だったと思うのである。

それはなぜか?

あの時間が『待つ』と言う幸せを教えてくれたからだ。

今世界の人々は今までの当たり前だったものが崩れ、新しい何かを創っていく時間の中にいる。元の世界に戻ることを切望し、安心安全な世界になることをこの世界の誰もが待っている。待ちながら、自分と言う存在に徹底的に向き合い続けている人もいるかもしれない。全てを捨てた人もいるかもしれない。又は、新しい何かを創っていこうとしている人もいるかもしれない。想像の翼を広げてみるとキリがない。

よく考えてみると、なにかを待つ間って、自分自身に全集中している時だと思うのだ。植物が芽を出し、それが大きくなって行くのを待つ間、わたしは自分の喜びに集中し切っている。大きくなってくれたときは本当に嬉しい。子育てももしかしたら同じかもしれない。

わたしは今もまた違うものを待っている。自分の夢がいつか叶う喜びを感じると一人ニタニタしてくる時があって、なんとも幸せな気持ちになる。この先、わたしが待っているものが両手を広げ迎え入れてくれるから、そこに向かって自分を大切に歩いていくだけでいい。わたしが選んだ今の道を、自分に全集中しながらね。それが、一番幸せだと言うことを教えてくれたのは、わたしが待っているものだった。今は新しい仕事と今までの仕事といい感じにバランスが取れ、日々バタバタ過ごしながら『待つという幸せ』を今日も感じ尽くしている。

今いる場所よりもっと遠くを見つめながら、そのもっと先を見据えて歩いていこうよ。そこで、会いたい自分がわたしを待ってくれているとただ根拠なく信じている。だから、今できることは、時間をかけて、かけがえのない自分自身を大切に取り扱う説明書を作成することだと思う。

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【近況報告】わたしはフラワーブーケのレクチャーを受け、日々ブーケ作りに勤しんでます!


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