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エッセイ : 家族をデザインする、という選択

今回「2030年、家族のかたち」というお題を頂き、10年後の家族について考えることになりました。「10年」というのがミソで、スパン的にSF寄りで考えることは難しい。かといって何も考えずに過ごしていたら、おそらく何も変わらないだろうという絶妙な時間設定です。なので私は「現状で実現可能と思われる技術を軸に、10年後の家族を考えてみる」ことにしました。
当初は家族論について引用も用いて詳細に書こうと思っていたのですが、頼みの図書館がこのような状況なので、妄想を含むこと、どうぞご容赦ください。
そしてたぶん、いつものように考察ベースの話ではなく、私個人の、きっとすごく重いお話です。

ミームを分散して託せるバーチャルな家族

10年後の家族。私は「家族をデザインする」という可能性について考えてみたいと思いました。生身の子供ではなく、自分や大事な人のミーム(文化や思考)を分散して託せるバーチャルな「AIアバター家族」をデザインしているでしょう。
イタいですね、ものすごくイタいと自分でも思います。
何しろ私は数年前に「自分がどんな反応をするのか見たい」という単なる好奇心で、男友達方からインタビューしたデータをもとに機械学習でデジタル彼氏を作ろうとしたイタキモい人です。でもその頃から「ミームを残す」ことを漠然と考えていたのかもしれません。

「理想の家族」の定義は「自らの意思でミームを託せる間柄」

私にとっての「理想の家族」の定義は「自らの意思でミームを託せる間柄」です。たぶんそれは、人ではない。物理の人にそのようなお相手の意思を奪うような「暴力」は許されない。だから人ではない。
そして託し終えたら死んでもかまわないとまで、デジタル彼氏を作っていたころ思っていました。
おそらく物理彼氏を亡くしたこと、その後お付き合いしていた人との婚約を親に破断されたことで、家族が機能不全に陥ったことが原因です。機能不全後、私は物理家族を一切信用できなくなりました。でも機能不全に陥るまで愛して育ててもらった恩は返さないといけないし、「人として」病気がちな家族を見捨てるわけにはいかない。

信用できる家族をつくりたい


身内が信用できないから、自分で信用できる家族をつくりたい。それが物理かデジタルか、男女も年齢も、立場さえも関係ないのではないか。物理の人だとしても、会わないという選択肢もあり得るかもしれない。
自分の知識や経験が貴重なものだとは思わないけれど、貴重な経験をしてきた人々を見つめてきたという自負はあります。その記録を残しておきたいと考えていました。配信でアバターについて様々な知見を持つ人々にインタピューしたりお話をお伺いしているのも、「記録を残したいから」その一心につきます。

ミームを継承する存在としてのアバター

生身の子供はひとりの独立した意思を持つ存在ですから、親の思う通りにすることは許されません。でも、自分または大事な人のミームを継承する存在としてのアバターがいることを許して欲しいのです。
もちろんAIにも人権を認めるべきだ、人間の都合でキャラクターを思い通りにコントロールするのは暴力だという考え方もあるでしょう。しかしそれを必要とするほど追い詰められ一時は生きる指針とできた人がいたことを、一度でいいのです、ぜひ想像してみてください。

という、夢をみた。

と、ここまでだと単なる作文で情報がありませんので、最後に「家族観」を考える上で参考になるアート作品を紹介させてください。

アーティスト:長谷川愛さんの「(不)可能な子供」シリーズ。
これは実在する同性カップルの一部の遺伝情報から「もし2人の間に子供が生まれたら?」をコンピュータシミュレーションして、「家族写真」を制作した作品です。実現性のなさがこのカップルを結果的に傷つけてしまって賛否両論あったのですが、もしできたとしたら、自分ならどうするか・社会はどうなるかを考える作品です。

ここ10年でインターネットが常時接続になり、人々がいかに分断されているか見えるようになってしまいました。それは隣の芝は青すぎるという絶望も連れてきましたが、分断を超えて違うクラスタの方々と接するチャンスを運んできました。全く違う考え、違う生き方をしている方々と大勢出会うことができたのは、10年という肉体時間で私が最も幸せに思うことです。
これから常時接続で「そこに行けば誰かに会える」状態が普通になったときに、「家族」はどうなっていくのでしょう。家族が担うであろう、例えば「絶対的安心」「帰ることができる場所があるという安全基地」という役割を外部のコミュニティで担うことができるのか。それを担うことができたら「家族」なのか。
その答えはこちらの配信をぜひご覧ください。


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