脱落

私は辞めてしまった。

この話は最後までただの言い訳だ。
誰かに読んでもらうようなものではない。
ただのハキダメだ。
何かの手違いでこのページを開いてしまったとしても、こんなもの読まなくてよい。

今思えば、私にも可能性の時代があった。
歌い叫んでいた。
詞を紡いでいた。
文字を書いていた。
バンドとインターネット。
もう8年くらい前の話だ。

その頃を一時でも共に駆けた人、そして駆け続けた彼らは今大きな舞台に立っている。
特に3名。
かつてバンドメンバーとして共に歩んだS。
彼の最初の楽曲に私の詞を選んでくれたSさん。
詞を選んではくれたもののぞんざいな扱いだったY氏。
寄せる感情はそれぞれだが、この記憶が私の中にあることさえ罪悪感を覚えるくらい大きな方々になった。

今となっては、私は可能性にも普通にもなりそこねたまま、彼らの活躍を言葉に表せない不思議な感情で眺めているだけだ。
時に感慨深いものとして、一方で時に嫉妬や羨望に似たものとして。
あるいは、恨みとして。
その全てを同時に憶えたりもする。
正直、あまり心臓に良い代物ではないことの方が多い。
もしかしたら私も、続けていたら私も、今頃何かになっていたのだろうか。

脱落は私の選択だった。
情けない言い訳に過ぎないが、あの頃の私はこれが正解だと考えたのだろう。

大学生になって1年経った頃、全部辞めてしまった。

バンドを辞めた。
メンバーの楽曲に私の詞を乗せたバンドで歌っていた。
武道館に立つと言ってオリジナル楽曲を引っ提げて活動していたし、私もそのつもりだった。
私は楽器はからっきしだったが、詞を書くのが好きで、叫びができて、何より運営的な部分を一手に引き受けられたので呼んでくれた。(はず。)

辞めた理由はいくつかあったが、一番大きいのは自分が枷になっている感覚に耐えられなかったから。
私にとって大学はつぶしを利かせるために行く場所ではなくて、疎かにするつもりはなかった。
一方で、バンド活動は年中無休。
ブッキングライブの枠・活動資金のためのバイト、それぞれ出られる限り入れる必要があった。
学生身分だし顔を出す気もなかった。
(そもそも顔面はできるならリアルでもなるべく出したくないくらいにはコンプレックスに感じていたりするし、学生を終えても決められなかっただろうな。)
メンバーで最も熱量の高い彼は大学なんて二の次三の次で、とにかく活動第一だった。
活動という意味では私は甘かったのだろう。
大学生活を優先させた私の動き方では彼らの活動を止めてしまうと勝手に思い悩み続け、私は大学生であることを選んだ。

並行して、インターネットコミュニティで詞を綴ったり文字を書いたりという活動をしていたのだが、その頃にはもう、その活動はほとんど止まっていた。
高校時代に仲の良くなかった同級生からネットもバンド活動も叩かれ、病み言も多かったからなおさらで、億劫になっていた。
そして極めつけはある楽曲で結構な詞の扱われ方をして以降、あまりインターネットで何かする気にはなれなかったんだ。
自然消滅に近い状態だった。

なにより、抱えた言葉たちをこの身この声で歌えるところに捧げたかった。
メタルコアバンドの叫ぶボーカルだったから、こんな日々もいつか中指を立てて舌を出しながら叫び散らしてしまえばいいと思っていた。
当時は作曲の彼もそんな詞を求めてくれていたし。
私の声も言葉もそのためのものだった。

しかし、手放してしまった。
辞めてしまえばもう、全て行き場を失った。
当時のあらゆるアカウントも作品と呼べるかわからない代物も全部全部全部消した。
私なんてきっといなかった。
私というコンテンツが終わった、いや、自分で殺めた瞬間だった。
そもそも自分のことは嫌いだったから、場所がなくなってしまえば自分を自分として残す理由なんてなかった。

以降、私は一般的な大学生になって、我ながら良い日々を送った。
部活やサークルには入らなかったし、人間関係もほとんど広げなかったし、文系学部の割にはいわゆる大学生って感じの華やかな日々は送らなかったけれど。
ただ興味のままに、学びたいことを学んで、働きたいところで働いて、見たいライブやイベントにひたすら足を運んだ。
就活もいわゆる超就活生って感じではなかったけれど、自分なりに納得できる動きをして社会人になったつもり。
今もこれで間違った人生ではないのだろうと思っている。

一方で。
歌うこと、叫ぶこと、言葉を紡ぐこと、文字を書くこと。
それらは思っていたよりそれまでの私には大きかったようで、そうやってあらゆる感情との折り合いをつけながら生きてきたみたいで、ずっと引っ掛かり続けた。

ある程度の周期で歌わないと声が出なくなる恐怖感があって、なにより歌が大好きだったようで、スタジオやカラオケによく行っていた。
言葉を吐き出すところが必要だったらしく、今まで作詞メモに書いていたようなことも全部ツイートになっていった。
ただでさえツイート多いのに、妙なツイートがさらに増えた。
もうインターネットに上げる気はないのに、一定時間で消えるWriteningに歪な詞や不可解な文章を上げたりしていた。
挙句、歌ってみたかったなんてものを録るようになって、ネットに上げるのは億劫なのにポツポツと上げ始めた。
何のタグも付けず、フォロワー以外には見つからないように。
時々Twitterで直筆の文字をまた書くようになった。

中途半端な活動擬きが細々と今まで続いている。

私は私が好きではない。
早く殺してしまおうとするほどに大嫌いだった。
今でこそ好きではないのに変な自己愛を持っている程度には克服したが、自分が自分を世に送るほどの自己肯定は一切ない。
それでいて、誰かに世に送ってもらうことを望む肯定も私にはない。

ゆえに、もう何かになろうとなんて思わないのに。
きっと未だにフロアから見上げるあなたのようになりたいと思っているのだろうか。
どんどん私を置いて若くなっていくあなたに。

しかし、もう何にもならない。
私には音がない。
声がない。
心がない。
姿がない。
言葉もない。
この身ではもう、あなたにはなれないと知った。知っていた。

それでも辞めきれなかっただけ。
付け加えると、ある方が歌を良いと言ってくれたから、ある企画に送った文字が映ったから、どこか希望を捨てきれずに細くてもアップロードし続けているだけ。

私は脱落者だ。
敗退者などという誇らしいものではない。
自ら廃コンテンツになった落伍者だ。

表現の世界を齧ったら終わりだ。
一生劣等感を抱えて生きていくのだろう。
きっと世に言う大成に達しても燻り続けるのだろう。

突然こんなものを書いたということは、これからもこんなものを書きたいということなのだろうな。
辞めてからずっと、今も、こんなものを書くことに抵抗しかない。
昔はあんなにやっていたのに。

それでも、一度書いてしまえば抵抗もなくなるだろうとでも思ったのかしら。


読み返した。
もしこれが自分でない人間のものであれば「それなら動きなよ」とでもアドバイスするだろう。
自分のことになると途端に何も言えなくなってしまうのは。

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