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39歳からのスケート記録 #01 新しい挑戦

これは40手前から、自分らしい人生を探しにいった男の備忘録。
いま、やりたいことを始めなければ後悔する。

競技者としてのこころ

小学校で「タッチ」に出会い、中学から野球とは違うけれど、
ソフトボールで、投手として、まがいなりにも25年以上の競技歴が
あった。やれ家族だの、仕事だの、チーム事情だの、いろいろな事情が
あるにしても、薄々気づいていた「慣れ」と「情熱の低下」。

ーー 競技者として上を目指そうという気持ちがあると言えるのか?

その答えに、即答できない。
ならば、一度距離を置こう。

そんな恰好のいいことを言えるほど、大した成績も残せてはいないし、
傍から見たら笑われるかもしれない。
それでも、やっぱりお世話になった競技だから、中途半端にしたくない。

一方で、何かしら体を動かしたかった。
体を動かしている時の心が無に近づく感じ。
それが無いと、心が持たないなと。

オリンピックの一番印象深いメダル

スポーツはなんでも好きだった。
格闘技も、テニスも、モータースポーツも。やったことはないけど、
どんな競技も、人並みに会話についていける自信はある。

男子ソフトボールというマイナー競技をやっていたからか、マイナー競技
でも、必死に取り組んでいる人には共感したし、応援もした。

当然、オリンピックの時期には、いろんな競技を見るのが楽しみだ。
北京で女子ソフトボールがアメリカを下して金メダルを獲った時の
感動もひとしおだった。とても誇らしい気持ちになった。

そのオリンピックで、もし一番印象深いメダルを聞かれたら、
2006年のトリノ 荒川静香さんが獲ったフィギュアの金メダルだ、と
そう答えると思う。それほど、当時の彼女の演技は素晴らしかった。

今よりも、ジャンプの回数も少ないし、その後の浅田真央選手や
羽生結弦選手の時のようなレベルではなかったかもしれない。
それでも、当時の荒川さんの演技をテレビ越しに観て、
トゥーランドットの曲調が変わり、連続ジャンプが終わるころには
これはもう金メダルに違いない、と確信した瞬間が忘れられなかった。
丁寧なスケーティングは「優雅」という言葉がふさわしかった。

実際に、荒川選手の当時のインタビューでは、その優雅さの
根拠となるような、競技者としてのこころが綴られている。
一度は引退を考えた上で、スケートという競技に向き合った、
その結果として生まれたのが、トリノでの演技だったのだ。

やるかやらないか、それだけのシンプルな世界の個人競技。
勝ち負け以前に、自分とどこまで向き合えられるか。
どこまで同じ世界観に近づけるかは分からないけれど、
大人になった今だからこそ、挑戦してみる価値があるのではないか、
そう思ってしまった。

誰に認められるのを目指すのでもなく、
自分を表現する一つの選択肢としての競技を、始めることにした。
2023年の1月。翌月の市のスケート教室に申し込みをしていた。

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