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39歳からのスケート記録 #05 仲間と環境

これは40手前から、自分らしい人生を探しにいった男の備忘録。
前回は、初心者から状態からレベルアップを目指すべく、
マイシューズを買ったところまで。

大人の男性スケーターは目立つ

#02で書いたように男性スケーターは少ないので、とても目立つ。
そこに、初心者の大人がやってきて、一生懸命練習するものだから、
それはそれは大変目立っていた(のだと思う。今振り返ると。)

そこでベテランの方々は、
-- 蹴るときはもっと横に蹴った方が良いよ。
-- コーチに個人レッスンしてもらうと良いですよ。 

などと、温かく声を掛けて下さる。逆の立場を想像しても、
それは「マイシューズ買いなよ!」とも言いたくなる気がする。
それだけでなく、純粋に向上心が向上心に火をつける相互作用というのか、
リンクに支配的な良い空気を感じていた。老若男女、挨拶も欠かされない。
それに、この空気を壊さないようにしなければとも感じていた。

教室のメンバーも顔なじみになってきて、お互いにこれが難しいよね、
という具合に会話が出来るようになってきた。
教室の中でも上手い人は、教室が終わって自主練習中でもメモを残して
いた。どの競技でも、こういうコツコツとしたことが出来るかなのだろうなと、改めて感じさせてもらった。

新しく買ったマイシューズはやっぱり痛い。
痛いから、滑り始め1時間のうちに、何度も何度も靴ひもを緩めたり
靴を揉んでから、暫くして足裏の感覚が痛みで無くなってくる頃に、
また結びなおす作業を2度3度繰り返してしまう。

そんな時は、痛みに耐えているからめげそうになるけれども、
-- 「買ったばかりだと痛いよね。」といろいろな方がお話してくださる。
そして、みんな通る道ならば、と痛みに慣れてしまうまで、我慢出来た。
また仲間と言える方々から、頑張ってるねと、励ましの言葉を頂ける。

そんな「見られる」環境だったからか、練習の成果か、
バックのひょうたん滑走も、フォアインのセミサークルも出来るように
なってきた。このセミサークルのように、片足で滑ることが出来ると、
「スケートしてる!」という実感が湧いてきた。

マイナースポーツの宿命

そうは言っても、まだまだ初心者の域を出ない。
夕方以降に増えてくるジュニアの選手たちは、片足でいとも簡単にバックスケーティングが出来るし、中高生はジャンプを幾度となく飛んでいた。
彼ら彼女たちは、ただでさえ体が軽くて運動神経が発達の最中。
追いつこう…などという事は烏滸がましいかも知れないが、差を縮めたいと
思うならば練習が必要だ。

一方、春を迎えて、スケートセンターが休業し始める5月が迫っていた。
練習環境を求め、それ以降は選手の子供たちは県外まで通うことになるらしい。それは勤め人である自分には少し現実的ではない。実際にGoogle Mapで調べても、片道2時間弱の道のり。昼までに出発しないとまともに練習時間が確保できない。ここで初めて、今までの練習環境がどれだけ有難いものかを知った。

ソフトボール用のバッティングセンターはあまり見ないし、サーフィンも、初心者が練習していい場所は、実力主義ゆえ、限られていた。
そういう時は、腹を括って、今ある環境を最大限使うことが重要だった。

-- スケートセンターが休業し始める5月までに、少しでも上手くなりたい。

個人レッスンの開始

最短で上手くなるには?の答えは、
協会に入ってのコーチから受けるレッスンだった。
教室とは違い、マンツーマン指導で、今何で困っているかに対する答えが
ダイレクトに得られる。
3か月間、自主練習で四苦八苦したからこそ、
コーチの言葉は渇いた地面に吸い込まれる水のように入ってきた。

新しい体の動きに対して、脳内のイメージを何度も擦り合わせ修正を試みた
「運動学習」でいう「認知段階」が終わりに近づいてきた証拠だったのだと思う。この次が「連合段階」で、コーチによる言葉での指導が効果的であるとのこと。これは、下のYoutubeでも情報として理解していて、実感したことだった。

ㇵの字ストップの復習も、バックの片足ひょうたんも、テーマを持って
短期集中30分のレッスンできっかけを掴むことが出来た。

こうやって少しずつ出来ることが増えてくると、
そろそろ、何も考えずに登り始めた山でも、どこまで登りたいのか、
意識せざるを得なくなってきた。さぁ、どこを目指そうか。。

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