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ぼっち生活

保育園、小学校の8年間、
私は「ぼっち」だった。

友達の作り方を知らなかった。
自分から、話しかけられず、話しかけられても首を、縦か横に振る事しかできなかった。

自宅の隣に同じ年の女の子、年子で続いた2人の弟とぐらいしか会話はしていなかったと思う。

5年生になるまでは、私の声を聞いた事がある人はいたのだろうか?

そのぐらい、何も喋らなかった。

授業中も、当てられても一切答えなかった。
人前で声を出す事に、怯えていた。
だから、答えられなかったのだ。

誰も聞き取れないぐらいの細い声で、
分かりません。
としか言えず、当てられた後は、
いつも静かに涙を流していた。

教室移動も、休み時間も、
いつもひとりぼっち。

保育園にいても、学校にいても
楽しいと思えなかったが、
家にいるよりはマシだった。


保育園の年長で、
お遊戯会でダンスをやる事になった。

セリフがある役は、
私にはできなかったし、
先生もそれをよく分かっていた。

男女ペアの3組が踊る事になり、
私はパートナーの男の子が、
好きになった。

3年生の時に同じクラスになり、 
学校へ行く事が楽しみになった。

でも、その男の子は、
夏休みに転校してしまった。
また、つまらないぼっち生活となった。


乳製品が、苦手な私は、
給食を食べ切る事も大変だった。

休み時間になり、
掃除の時間になっても、
牛乳が飲めなかった。
カレーや、スパゲッティにも
チーズが入っていたから食べられず、
チーズパンは、机の中に隠していた。

5時間目が始まる時、
先生が給食のトレーを下げて、
授業を受ける毎日だった。
謝る事も、泣く事も出来ず、
ただ、ただ、無にって、
平常時を保とうとしていた。


5年生になり、担任の先生が、
生まれて初めての男先生だった。
若くて、カッコいい元気な先生だった。

私は、初めて会ったその瞬間から
好きになった。

先生は、喋らない私に、
よく話しかけてくれた。

兄弟は何人?
家では何して遊んでるの?
好きな物は何?

私は、先生に話しかけられた事が嬉しくて、目をキラキラさせながら答えた。


でも、その様子を、
珍しそうに見ているクラスメイトが、
嫌でたまらなかった。


クラブは、その先生の勧めで、
家族で唯一家族でやっていた
バドミントンクラブに入った。

毎回、どうだったか聞かれて、
バドミントンをする事が楽しくなった。

6年生になったら、
その先生が顧問の体操クラブに入った。


体育朝礼、運動会などで、
ラジオ体操をする際、
体操クラブの6年生が、
みんなの前でやる事になり、
私も参加した。

私にも、出来る事が少しずつ増えてきて、楽しくなった。


水泳大会では、25m自由型に参加し、
飛び込み無しで、
けのびと、バタ足だけで、挑戦した。

途中で、何度も立ったけれど、
先生は、大声で、最後まで応援してくれた。

それが嬉しくて、最後まで諦めず25m
どうにか辿り着いた。

プールから出たら、
先生が肩を抱いてくれて、
一緒に喜んでくれた。
私は、
大泣きして一緒に喜んでくれる
先生をもっと好きになった。

それから、
クラスにの子とも少しずつ
話せるようになった。

女子だけでなく、気づいたら、
男子とも話せるようになっていた。

そして、先生以外にも好きな人ができた。

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