夢ならば、どれほどよかったでしょう


最近ご飯を作る時も、食べる時も、洗濯物を干すときも、アンナチュラルをサブスクで観てる。リアルタイムでは1話を見逃していて、新型コロナウイルスが流行り始めた時、1話を初めて観てすごくどきっとした、感染症というものについて考えさせられた。アンナチュラルのサントラが好きで、勉強する時とか集中したいときのbgmにしてるから、あのピアノが聞こえてくるとすこし背中がしゃんとする。

夢ならばどれほど良かったでしょうと、改めて歌詞を口にすると、あまりの切実さに胸がぎゅ、と苦しくなる。いつか私も、そう思うことが訪れるのだろうな、と思う。わたしが今1番に思いつくことは、祖父母や両親、姉との死別。あまりに未知で、怖い。怖いまま生きて行くのだと思う。でも、もし自分の大切な人がこの世界からみんな旅立ってしまったら、私もそっちに行きたいなと思う。

1年と2日前、実家で飼っていたモルモットが天国に行って、それがあまりに急で、今もまだあの子が実家にいない事が分からない。理解しているのに、していない。大切な存在との別れを受容するなんて、出来るはずがないんだなって知ってから、このまま、分からないまま一緒に生きていくこと以外ないんだなって思うし、それで良いと思う。思うけど、まだ悲しくて涙が出るし、いつかどこかのタイミングで折り合いがつけられるのか不安になる、折り合いをつけなくても良いと思いながら、思ってるくせに、いつかはって思う。だって悲しいんだもん、もうこんな気持ち置いて行きたい、ねえどこにいるの、帰ってきて欲しい。いっぱいレタス持って待ってるから。

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