日常すぎる時間は残らない。
ここは、石垣島に行ってしまった大好きな友人の置き土産だった。
「あいまいえ」。そこに居る人たちの関係性があいまい、場所の定義もあいまいなシェアハウスで、あいまいえ。家族ではない人と、家族と過ごすようななんもない時間を過ごせる場所。私はそんななんもない時間が大好きだったし、その時間を一緒に過ごしてくれた住人のみんなをはじめ、ここで出会った人たち、築いた関係、全部が宝物です。
前までは人によってその自分が違かったりしたけど、あいまいえにいるようになってから、否応なくそういう出し分けができなくなったおかげで、今では誰に対してもいつでも、とやまゆかそのものになった気がする。
一番足繁く通っていた4年前くらいは、週2回くらい行っていて、「ここの住人」と間違われるくらい入り浸っていた。私にとっては、自分が素の中の素でいられる場所で、心のよりどころ、みたいななくてはならない場所のひとつだった。
うっかり見過ごしてしまいそうなほどまわりと馴染んでいる(というか家に見えない)建物の入口から2階分の階段を登り、重い扉を開けて、玄関で靴を見てたくさんいるなー誰がいるのかなーと、また2階分の階段を登って、息を切らしながらリビングに顔を出すと「おーゆかちー」という誰かの言葉になんだか帰ってきたなって感じがして、リビングの中でどこに座ろうかなって見渡して。私はみんながごはんを食べてるときのキッチンが好きで、よく片付けをしたり料理してる人にちょっかい出してた。えもい。
ごはんを食べたあとは、よく泊まって、次の日始発で帰ってた。このあと頑張って帰っても寝過ごすかもしれないしなーとか誰かに「ゆかち、泊まるよね?」って言われたら、その誘惑に勝てずwそんな葛藤をする前に寝てたこともあったけど。誰かの寝床を勝手に奪ったこともあって、ごめんね。笑
居るだけで落ち着く対話にぴったりな和室、ごちゃっとした感じのキッチン、ぼこぼこの壁、気になる本がたくさんある本棚、ずーっと置いてあるお酒たち、意外と空が見えるベランダの前、ガラスばりでスケスケな浴室。リビングで他愛もないことを話すこともあれば、テレビをぼーっと見たり、ときにはガチなミーティングもしたり、寝室や和室でじーんわりくる対話をして。読書会は合計30回くらいやったのかな。それぞれに思い出があって、そのときに一緒に過ごした人の顔も思い出しているけど、どれも日常すぎて写真が残ってないことに、今とても後悔している。日常って儚いんだねーほんと。
きっとその裏では、維持をするために色々大変なこともあったと思う。この場を守ってくれた住人のみんなには、本当に感謝をしきれません。そして、ここで一緒に時間を過ごしてくれた方々、本当にありがとう。
ぶっちゃけいうと、なくなってしまったことはとってもかなしい。けど、ここで生まれたつながりを大切にしていくことが、そのかなしさを変換する方法かなと思って、自分で思ったよりもかなしんでない(と思う)。ということで、これからもどうぞよろしくね。
この場の母体となっていたのは、ワークルというコミュニティでした。それについてはこちらに書いてあるので、合わせて読んでもらえたらうれしいです。
ちょっとでも、あなたの心にひっかかったら。