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いつから未来が直線になったんだろう

言葉にしてしまうとそんな大きな違いはない。人と会いにくくなる、集まりにくくなる。それだけなのに、この状況になってから、一年経ったからなのか、未来が直線になったように感じる。偶然のビックリもドッキリもないから、このまままっすぐ歩いて、生を終えるのかな、っていう。

年齢もあるのかもしれない。27歳。27歳になるまえ、知り合いに有名な作家やアーティストは27歳で自殺をした人が多いと聞いた。というのを、コントが始まるを見ていて、思い出した。コロナで自殺する人が増えている、というのもたまに聞く。

この前、夜中に歯の痛みに襲われた。虫歯だったらやだなーと思いながら、歯医者にいったら、歯ぎしりが原因っぽいねと言われた。歯ぎしりはストレスからくるらしく、今までの研究で日曜日になる人が多いんだって。(私も日曜日だった)それほどストレス感じていないつもりなのにな。どこに居るの、私のストレスちゃん。今は治ったけれど、一番痛かったときはごはんも食べれなくて、このまま一生痛かったら本当にもう生きることが嫌になるなと思った。本当に治ってよかった。

前のnoteで今の私にとって、結婚はどうでもいい、みたいな話を書いた。でも、結婚の投稿を見たりすると、ぴくってなるし、もやったりする。それは、私は本当は結婚したくてしたくて仕方ないからなのでは?って思って、論理と感情がどっちがどっちなのかわからなくなった。羨ましいという感情を抑えるために頭が理論をつくりだしているのか、そもそも感情も頭も一致しているのか。

この前、友だち夫婦の家に遊びに行った。ふたりも素敵だし、家も素敵で、ふたりの日常を聞けば聞くほど、どこかで「私はこういう時間も関係ももう一生手にいれられないのか」と。感情でいうと、羨ましさでも、寂しさでもなくて、ただただそう思った。この前、男友だちと話していたときに、彼らは結婚の投稿に対しては何も思わないけれど、起業した、とか、いけてるメディアに載っている友だちを見ると、もやると言っていた。羨ましいと同時に、でも、自分はそうなれないという諦めも含んだ言い方だった(彼らが諦めているかどうかはわからない)

何が言いたいかというと、この年齢くらいになると、選ばなかったことの先にある未来が蓄積されていって、自分が手に入れられない現実も見えてきて、それに対するなにか、なんだろうなあ、って思った。でも80歳まで生きられるとして、身体と頭がまあまあ動くのが60歳だとして、あと30年くらいはある。30年かぁ

生きることは、思考と時間の隙間を埋めていくことだと思っている。一番多いのは仕事、あとはライフイベント、結婚、子育てもそうだし、趣味、一番厄介なのは人間関係の悩み。埋めないと、自分にベクトルが向きすぎて、「なんで生きてるんだろう」ってなって、仕事とお金の意味をつきつめて、虚しくなったりするんだろうな。(経験あり)

でも、それをやめるほどの勇気も意志もないから、結局ハムスターのように回し車をカラカラと走り続ける。喉乾いて水を飲むために足を止めると、また虚しさが襲ってきて、だからたまに喉が乾いたことを騙して、走り続けるとそれはそれで。

さっぱりすっかりTwitterとInstagramの表アカウントからきえつつある。こんなにTwitterにつぶやかないのは、たぶん10年ぶりくらい?やめようと思ってやめたのでしゃなく、すべて真夜中の恋人たちを読んだら、自分の発言が全部結局自分を肯定したくてしたくてたまらないから、誰かをマウンテングしているように思えてきてしまって、つぶやけなくなってしまった。

いわば、メンタル隠居。不安もイライラも感じるのがめんどくさくなってしまって、俯瞰している。一見身体にも心にもよくなさそうだけど、しっかり感じて剥がれなくなってずっとついてまわるよりは、私のメンタルは安定している。今までは不安やイライラにに勝るうれしさや楽しさがあったけれど、最近は勝てない。私の持論だけど、うれしさや楽しさは誰かと一緒の空気を共有することでしっかり感じられるものだけど、不安や怒りはひとりで感じることが多いから、この状況では必然的に後者が大きくなる、そして私は疲れたので蓋をした。

だからといって人にたくさん会えば解決するものでもなくて、今は人に会うための行動をするだけで後ろめたさがつきまとうから、それがなくならないと、変わらないだろうねー。(諦め)

ちょっとでも、あなたの心にひっかかったら。