虹500

雨がふっているから、地かたまれ

目の前にGがいたらどうしますか。
という問いをきのう色々な人に聞いてみました。
Gというのは、嫌なことやネガティブなことです。
向き合い方が似ているのではないかと考えてみました。

私はそれを削除しようとします。
凝視する
見なかったことにする
近くにいる人に助けをもとめる

人によって様々。

さて、私はそれがすぐに消せないものの場合
逃げられない場合
どうすればいいのでしょうか。
大学のときは環境をいくらでも変えれました。
でも会社で働いている今、それは簡単にはできません。

結局ひとは意識のなかで生きています。
目の前に事実があってそれをよく捉えることもできる、
もちろん逆もあります。
だから、必死に自分の考え方を変えようとしました。
でも、できなかった。

そのときに私は私のせいだと思いました。
そしてつらくなり、泣きました。
自分のために泣くのはきっと3年ぶりくらいです。
勝手に涙があふれて、これは大したことであることに気づきました。

けど、私は誰かに心配してもらいたくて
つらくなったり泣いたりする自分がだいっきらいです。
自分かわいそう、大丈夫かなって思ってもらえてるかな。
なんで泣くこと、つらくなることから勝手にひとが考えることに
ひもづいてるんだろう。

私の強みのひとつに調和性があります。
自分の意志より周りの調和を大切にする。
多少がまんしても周りがうまくいっていればしあわせでした。
ですが、これはときには自分をつぶす、ということにきづきました。
私が自分の好きなところが、私にダメージを与える。

私はこの環境からできるなら一刻も早く逃げたい。
たったひとつ、たったひとりを理由にやめるのは、
ただ私が弱いからでしょうか。

私が人を頼れないのは
話すと悪口になるのでは、
この状況が好転してしまったら大したことないじゃん、
と思われてしまうのが嫌だからです。
人の悩みはやはり対人関係の悩み。
だから人に頼らず生きてきました。

でも今回ばかりは耐えられなくなって話してみました。

もっと色々な人に相談したほうがいい
周りの人に頼っていいと思う
つらいという感情を認めてあげたら
これを乗り越えたあとのゆかが楽しみ
それはつらいよ

色々な人に助けてもらいました。

そのたびに泣きました。
気づいていなかったひとのあたたかみを、優しさを感じました。
だいっきらいだった家族も、あたたかかった。

つらいことでしかないと思っていたけど、
それだけな出来事ではいようです。
気付かせてくれてありがとうという一縷の感謝を。

ちょっとでも、あなたの心にひっかかったら。