パリ不戦条約ははたして『不戦』条約であるのか?

 こんにちは。𣜿葉です。こういった記事の編集は得意ではありませんので拙いところがあるかも知れませんがご容赦くださいませ

 今回の記事が初投稿となる私ですが、普段は戦時国際法の観点からいわゆる南京事件と呼ばれる事件を調べています。そして、ネット上の議論の中で時々見られるのがケロッグ=ブリアン条約とも言われる、パリ不戦条約についての言及です。その内容は様々で、パリ不戦条約によって戦争が犯罪化されたものであるから日本が行った中国大陸への進出の過程で殺害された全ての人が日本軍による虐殺と認定されるというものから、日本には侵略者としての責任があるという言及に留めるものまで様々です

 そこで、はたしてパリ不戦条約は本当に『不戦』条約であるのか、またパリ不戦条約は戦争を犯罪化したのかというところを見ていきたいと思います。また、これを見ていくにあたって国際法学者、信夫淳平博士の著作『戦時国際法提要 上巻』から適宜引用しつつ進めていきたいと思います

 まずパリ不戦条約とはなんぞや、という事なのですが、一言で言えば「締約国間に於いて戦争を放棄する」条約です。それ以前の国際法においては戦争という国家の行動は、至高の存在者である主権国家同士は相互に対等な立場であり、戦争は国家間同士の決闘であり、主権国家は戦争に訴える自由と権利を有するとされていましたが、そうした無差別戦争の価値観を否定する目的で規定された条約です

 このパリ不戦条約、前文は非常に長いのですが本文はたったの3ヶ条だけです。以下戦時国際法提要上巻より一部改変して(字体、かな等)引用いたします

第1条 締約国は国際紛争の解決の為戦争に訴ふることを非とし、且つその相互関係において国家の政策としての戦争を放棄することを其の各自の人民の名に於いて厳粛に宣言する

第2条 締約国は相互間に起こることあるべき一切の紛争又は紛議は、其の性質又は起因の如何を問わず、平和的手段に依るの外之が処理又は解決を求めざることを約す

第3条 本条約は前文に掲げらるる締約国に依り其の各自の憲法上の要件に従い批准せらるべく、且つ各国の批准書が全て「ワシントン」に於いて寄託せられたる後直に締約国間に実施せらるべし(第2項以下略)

 これがパリ不戦条約の条文です。ただし、日本においては『本条約第1条中の「其の各自の人民の名に於いて」なる字句は帝国憲法の条章より観て日本国限り適用なきものと了解することを宣言す』という宣言付帯のもとに批准されましたので、当時大日本帝国においては『締約国は国際紛争の解決の為戦争に訴ふることを非とし、且つその相互関係において国家の政策としての戦争を放棄することを厳粛に宣言する』ということになります

 このパリ不戦条約をもって、戦争そのものが犯罪化されたと多くの人々は受け取っているようですが、実際のところそれは誤解です。本条約は締結国間に於いて国家の政策としての戦争を放棄することを約束したものですが、戦争を犯罪と見るとか、罪悪をもって論ずるとかの文字はなく、またあろうはずがないのです

 大凡、世の中には法的には適法のものであってもこれを放棄するというのはままある話ですし、又一旦放棄したからといって再びそれを行使したからといって必ずしもそれが犯罪になるという話でもありません。これの分かりやすい例としては日本は交戦権(国際法上、これに一致する語句はありませんが防衛省では「交戦国が国際法上有する種々の権利の総称」と定義しています)を否定していますが、日本が憲法を改正してこれを行使したとしても国際法上は何ら問題がないことのようなものですね

 ただ、一旦国家の政策としての戦争を放棄すると約束したのですから、紛争、紛議の解決手段として国家の政策としての戦争へと堂々と訴えるのは約束違反、つまり条約違反は構成しますが、戦争自体が罪悪になるのとはまた違います。信夫淳平博士はこれを以下のように解説しています

『而して法律が之を禁じたるに、その禁を犯すあらば必然犯罪を構成するが、従来適法行為である所のものを都合に由り為さざることの約束を為し、而して会々(たまたま)その約束を破るありたればとて、当該行為そのものが罪悪となるものではない。恰も(あたかも)二人相約して飲酒は放棄すべしと誓へるに、その一人が背いて酒を飲めば、約束違反となるは勿論なるも、飲酒そのことが敢て罪悪を以て論ずるの当たらないのと理は同じである。不戦条約の下に於ける戦争の性質も、この理に照して誤解なきを要する』(出典、戦時国際法提要 上巻。カッコ内筆者注。その他旧字体を新字体へと改変して引用)

 つまるところパリ不戦条約は『国家の政策として、戦争に訴えるのはやめましょうね』という約束であって、戦争そのものを犯罪化する条約ではないのです。では逆にパリ不戦条約で制限されない戦争とはどういうものかを見ていきたいと思います

 まず、パリ不戦条約における『国家の政策としての戦争(Wor as an instrument of national policy)』というのは一体どういう戦争のことを指しているのかですが、不戦条約の産みの母とも言われるコロンビア大学のショットウェル教授曰く

『蓋し「国家の政策の手段としての戦争を放棄」なる字句中、その最も重要なるは「国家」の語である。戦争は全て之を放棄するといふのではない。いや政策の手段の戦とて必しも放棄せよとは限らない。ただ放棄すべきは、ブリアン氏の言える如く、国家の目的の自意的主張に係る戦のみである。随つて国際連盟規約又はロカルノ条約に依る平和保障国の国家の政策の手段としてではなく、国際圏の手段としてであり、之に就ては本条約を通じ一言隻句も妨ぐる所ないのである』(出典、戦時国際法提要 上巻。旧字体を新字体に改変して引用)

 というものであり、これは公的な見解ではありませんが大概はこのような解釈をもって論じられます。しかしながら共同制裁以外の戦争は全て国家の政策としての戦争としてその一切を違反と断じるのは些か度が過ぎていると言わざるを得ません。または国家の自衛権を自国の領土防衛以外は全て違反とする見解もありますが、これもまた本条約の現実とはかけ離れたものになります

 もしこれらの見解を是とするのであれば、古今東西、例えば日清日露両戦役も、西洋諸国の「特殊利害関係に係る」戦争も、当時の「米国のモンロー主義の擁護のために行う」戦争すらもこの条約がいう「国家の政策としての戦争」であり、これらは須く不戦条約の名の下に咎弾を受けることになり、逆にそこまで徹底して初めて国際社会の新秩序として締結された甲斐もあろうというものですが、実際のところ提唱国も締約国もそこまでの決心と覚悟を持って本条約の締結に臨んだのかと問われれば、はっきりと答えますが『否』であり、国際社会によってこのような見解は否定されることになりました

 元々、本条約の名前の由来となったケロッグ氏からブリアン氏へと渡された本条約の草案は自衛権の行使すら認めない絶対無条件での不戦条約案だったのですが、米英仏がこれに注文をつけることになります。まずはフランスが本条約に対して適法である自衛権の行使、国際連盟規約、ロカルノ条約、その他他国との同盟条約による義務の履行は妨げられるべきではないとの主張を展開します。ケロッグ氏はこの主張を受け入れ、すなわち自衛権の行使による戦争は本条約の適用範囲外であること、そしてそれが自衛権であるか否かはその開戦国が自身の主観的尺度に於いて任意に判断し得ること(言い方を変えるならば、自衛権は主権国家の当然の権利であって、自衛権がどのようなものかを決定する権利も国家主権に属する)という公式見解の下に本条約は採択されるに至りました

 この時点で骨抜きにされたと言っても過言ではないパリ不戦条約ですが、さらに米英がもの申します。まずはイギリスが事実上、本条約からエジプトやペルシャ湾などの地域を除外することを宣言します。さらにアメリカが、「自衛権をもって本条約の適用が除外される旨が認められているのであるから、イギリスの特殊利害関係地域を本条約適用より除外する旨の宣明は当然の事柄を殊更宣明したに過ぎず、自衛権は自国の判断においてエジプトやペルシャ湾どころかその他特殊利害関係地域に広く及ぶものであり当然本条約適用外となり、故にアメリカも同様にカリブ海の諸国、パナマ運河、そしてその他の方面に関してもモンロー主義の擁護の為となれば自衛権の名に於いて本条約の拘束を受けず」との見解が米国上院にて示され、また「米国が干渉という形式に於いて支那、中米、その他の方面に於いて武力を用いる権利を包含する」という説明の下に本条約に批准します。そういう経緯で本条約が締結されることになったのですから、不戦の約定を掲げた本条約もその効力の大半は事実上没却されたと言っても過言ではありません

 英国のエジプト、ペルシャ湾の本条約からの除外という宣明とそれに対する米国の見解、ひいては自衛権及びその解釈権の所在に対する米国の見解が国際社会に受け入れられたことを鑑みると、締約国がイギリスと同様の留保をしようとしなくとも結局は同じ所に帰着することとなります。つまり、自衛権とその解釈……自衛権がどこまで及びどのような行動が自衛権の行使となるのか……を判断することは他国ではなく自国が行うということとなりました

 ところで、パリ不戦条約の意義は上述したとおりですが、本条約締結時に於いては既に、どの国家も(少なくとも名目上は)国家自衛の為に軍隊を保持している訳であり、しかも殆どの戦争は自衛の為として行われる戦争であって、本条約適用範囲外となります。さらには国家の自衛権行使が本当に自衛であるか否かは一般人のそれのように正当防衛かどうかを判断するのは裁判所というわけではなく、その交戦国自身が決定する権利を有しているのですから、自衛の為の戦争を適法であると認める本条約は『不戦』どころか、ほとんど全ての戦争を適法である戦争として公認、裏書きする条約となったのです

 本来、戦争再発を防止する目的で締結された本条約ですが、米英仏により換骨奪胎させられ、むしろ戦争を公認する条約となってしまい、結局不戦条約は戦争を犯罪化するどころか公認する条約として締結されました

 以上が、パリ不戦条約の性質となります。今回はここまでとさせていただきます。誤字脱字をはじめとして御意見、ご指摘等ございましたらお願いいたします

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