空ろ虚ろ移ろ

結局は固定に依存して執着して錯覚の安定を得ているだけ
瞑って眠って懲役を過ごすだけである
親は巣立ちまで見返りのない無償の保護でいいはずなのになあー、見守って支えてその先で子の意思を尊重して成長した姿をみて自己満足でいいはずなのになあ
かぞくをすてるようなこういをする母をみて、だめだなとおもうことはあったけど、しのうとする私もまた、かこへのかんしゃをすてて、そこからにげようとする、おなじじぼうじき、なのかもしれないなと、ふとおもった
しんだらじぶんという存在は全て消えてなくなる、だが不可逆であり一方通行であり残る刻まれることもまた事実、つまり生きているうちは流れを運ぶ一部に過ぎない、所詮、我は無であり、反応は錯覚であり、だからこそ創作の可能性とは無限なのだ、全ては仮である、無から始まって、仮を通り、事実に還る
かってに勘違い錯覚でまた苦しんでいるだけということで
しぬことが、すべてをおわらせられることが、いかにしあわせなことであろうか。
むかついたら ばか!しね!うんち!!ぼけなす!しか言えないから、語彙力ほしい。
昔の文豪たちだったら、どう言ってくれるんだろう。君は溝鼠が死ぬ時夢見て憬れた人間みたいに情けないな  とでも言うのかな
自分で書いといてなんだが、なにこれ言われてぇ〜〜〜〜←しね
言ったそばからゴミ語彙にしてしまった!
【訂正】なにそれ!言われてぇ〜〜〜〜 ←私は溝鼠が死ぬ時夢見て憬れた人間みたいに情けないな

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