保護者はいても教育者はいなかったんだね
ほんっとに誰にも認められなくていいというか理解されるはずもないほどに深いからやめてくれ馴れ合うな寄り添ってくるな分かったフリの汚い私欲で触れてくるなお前なんかには含めないよ目の前と既存に盲従して飼われてる君には自分すらも使えてない命つきるまで抜けられないよ可哀想だね
自分への罪悪感や後悔がもうずぅーーーーーっと抜けない、受け入れても自責の念しか湧かないし苦しい
完璧になれないことはわかってるし別に完璧になりたいわけでもないから完璧じゃなくてもいいんだけど、完成に向けて生きているだからこそ常に完全でありたい、そうつまり自己満足
みんな放棄してるから無意識すぎる怠惰だけど意識しすぎるのも所有や個体値の執着でどちらも罪じゃん
外界に没頭や入念や集中や尽力するための蓄積であって、それは時や光という不可逆の元で常に空という状態を持続させる、それはつまり自分以外を意識している瞬間こそが自分ということ
たとえば同性に甘えたら、どんな反応されるんだろう
自覚を求めてる状態の自分にとても嫌悪感、吐き気する
なんでいきてるんだ、というより、何してても虚しい、どころか苦しい、毎秒一瞬が呼吸が。
おんなもおとこもくさくてきもい、自覚ばかりで汚れてる、性別なんて枠の概念で捉える無意識の癖を選択をやめたい、判断は基準から、それは自我が動機の反応から、たかだか所詮は無からはじまって無にかえる連鎖と循環、でしかないのに分かってても目先に負けて飛びついて繋ぐ、悔しい
過去の経験を色として捉えると所有する自我となり反応が発生し将来の枷や柵や障壁になり選択という常に二択を迫られる苦の循環を無意識に作って入ることになってしまう
基本甘えたいけど、いま甘えられたいのはなんででしょう、なにかが足りない、にちじょうに
生き急いでる?不眠症?
しねってひどいことばじゃないね、すべて終わらせる必殺技だよね、しにたいっていったら怒るんじゃなくて頑張ってるんだからおうえんしてよ
自覚を求めず、我を削って捨てて、でもじぶんをたいせつにしたいです、作るじゃなくて、管理でもないけれど
逃げてないし甘えてもないし嫌だからでもないただはやく終わらせない消えたい無になりたい罪ぜんぶせおってしにたい
変化を恐れるとは、それは錯覚でありむしろ我を持つ勘違いであるその反応は苦を背負っている状態の証拠である
目的を見据えたり自覚を追い求めると必ず仮や幻影という内容に当たる
我によって苦が発生している
圧倒的にニヒリズムでこそ救われるはずなんだ
変わること、遊ぶこと、楽しむこと、逃げること、新しいもの、幸せ、がニガテみたいです、胸が痛くなる動悸とか発作がする、とっても苦手
洗練された街、改装工事、きれいな自然の景色、いい匂い、騒音、欲求
ここらへんも、にがて、です
胸が苦しくなる、しにたくなる
でも惹かれるの、人間なのでね
あれ?まだ生きたいんじゃん、って、なるのももう疲れたよ、そろそろ、
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