腐乱死体、梅雨だくで。(930文字)

梅雨の季節だ。
雨がちな天気に、自然と心が沈む。
その傘を寄越せと言ったり雨が降ったらきっと頬を濡らしてしまったりする中で、セカオワが虹の理由を雨に求めエモをかっさらっていったのは新鮮に記憶しているが、それはそれとして沈むのである。

まあ、来季の米価が安くなれば、文句はない。
ちなみに日経新聞曰く暖冬と水不足で米はねあげらしいよ。家計もねをあげるしかなくなってしまう。

ともかく、沈んだ心はどうしたら晴れるかと考えて、人と話すと本を読むの二択になってしまった。
本当なら、煙草を吸うとかお酒を飲むとかにしたほうが人間的でいいかな、とは思うが、性分は変わりそうにない。

さて、それならば行動を起こすかと考え人に話すより先に本を手に取った。最近はヘミングウェイの『老人と海』をリピしている。ちなみに福田恆存訳だ。なぜなら近くの古本屋で80円だったから。

特に好きなところは、本作の老人であるサンチャゴが自らのぼっちに向き合うシーン。慕ってくれている男の子と航海に出られない中で、幾度となく現れる猫の手も借りたい状況に遭遇する。そのたびに、「あの子がいてくれたらなあ」とう。ところがどっこいいないのである。を受け止め、目の前の状況に集中する様子は、今の僕に必要な気の持ちようだった。


それに、時間の隙間を縫って読むジョージ・オーウェルの『1984』も素晴らしい。こういうの好き。世界がユーラシア、オセアニア、イースタシアに分かれた世界で、すべての勢力圏は全体主義を採用している、という設定で、どこかの書評家がこれをSFと分類していて驚いた。これってSF? ほな他にいいジャンルあるの、って聞かれたら弱いけど、まあとかく面白い。社会主義的ロンドンの息詰まる生活、そこからどんでん返しの解放、その後の希望ある展開に、急転直下……というところまでは読んだが、まだ読み終わっていない。

むかしむかしのその昔、僕には好きな作家がいなかった。そのような概念はいらないかな、と思っていた。多分これは読む量が少なかっただけだ。もっとたくさん、好きな作家を見つけたい。

さて、こうしてnoteを書いて、なんと僕の当初の目標、人と話すと本を読むが解決されてしまった。僕の腐乱死体が世界の片隅で見つかるような結末だけは避けたい所存だ。

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