ランボルギーニによる詩
失言のランボルギーニことジョー・バイデン(一九四二 - )米大統領は、数々の失言と看過しえない言い間違いとで世間を驚かせ、その職務遂行能力に疑問の声が挙がりすらするのだが、なかには、考えさせられるスピーチもあって、それについて一文書きたい。
1.あなたたち/お前らを忘れることは絶対にない
2022年8月1日。国際テロ組織アルカイダの最高指導者アイマン・ザワヒリ容疑者を殺害し了えた旨のスピーチ。
対テロ攻撃の成功を寿ぎつつ、テロ被害者の追悼も須くなされる。そこでグラウンド・ゼロの碑文にあるウェルギリウスVirgilの一文が引用された。
バイデンは二度繰り返している。その含みはなんだろうか。
この後、このウェルギリウスによる一文を改変して、
と言うから、その典拠となる文にしっかり注意を引き付ける必要があったことがまず第一にあろう。
しかし、反復からは別のことも読み取れる。つまり、それは一度目は被害者に向けて、二度目は加害者に向けて言う、ということだ。
erase youというフレーズが耳に残る。「忘れない」という被害者への追悼の言葉は、ただちにテロリストへの執念を表す言葉に相を変えないか。"you"の意味するところの曖昧さ、あるいはそれを耳にしたものすべてを呪う"you"という語の鋭さが、この碑文の要と感じられる。
2.碑文論争
広島平和都市記念碑には次のような碑文が刻まれている。
「過ち」を繰り返すのは誰か、その主語はなにか。それを巡っての碑文論争(一九五二 - )が、建立当時からある。
曖昧さに見舞われてこそ、碑文だろう。それは不気味な半透明の言葉となって、「繰り返し」私たちに迫る。あるいは迫りうる。その幽霊の鋭い囁きは論争を巻き起こし、果ては碑そのものが自壊する。
それは言葉が自殺する風景だろうか。いや、彼岸と此岸の間にあってこそ言葉は言葉と呼ばれるに相応しいのではないか。
いつだって言葉は私たちのものにならない。手を逃れるその言葉をどうにか捕まえようとするかのような、
の復誦に、詩人の営みを見て取ってよいと感じる。
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