見出し画像

2023年 大河ドラマ「どうする家康」40話を見てみた。

こんにちは。めぐたんと申します。

都内でサラリーマンしている歴史が好きな30代男性です。
歴史上の人物で徳川家康が一番好きです。

2023年 大河ドラマ「どうする家康」の第40話が放送されました。
本日も感想を投稿したいと思います。


1.どうする家康40話

豊臣秀吉が亡くなりました。家康を始めとする五大老と石田三成を中心とする五奉行は幼い豊臣秀頼の代わりに政務を行います。三成は朝鮮出兵から帰国した加藤清正らの武将を迎えますが怒りを買ってしまいます。とうとう加藤清正、福島正則ら武断派の武将に襲撃されてしまい、家康は事態を治めるために三成を領国に蟄居させました。これを機に家康と三成の溝は決定的なものとなりました。三成が中央の政務からいなくなった家康は名実ともに豊臣政権のナンバーワンとして降臨しました。


2.関ケ原へ至る道

1598年に秀吉が亡くなってから、1600年の関ケ原の戦いまでは僅か2年です。秀吉が1代で築き上げた栄華も2年で家康に代わってしまいます。やはり組織の崩壊は組織の構成より遥かに早く、脆く進んでしまうものです。
特に合議制では猶更ですね。一人の力のあるものが政を進めるというのは昨年の大河ドラマ鎌倉殿の13人でも証明されています。

家康はこの2年間の間に家康派の大名家と婚姻関係を結ぶなど工作を行いました。勝手に婚姻関係を結ぶことは秀吉から禁止されていましたが堂々と破っており、言及されても「忘れていた、うっかりしていた」と弁明していました。

その背景には家康の有する強大な軍事力がありました。同じ五大老でも家康の250万石に匹敵する大名はいません。また武闘派に対して圧倒的な求心力を持っている家康は豊臣政権を維持するのに必要な存在であり、家康を軍事的にも政治的にも政権から排除することは不可能なことでした。

話の中で前田利家も言っていましたが、桶狭間の戦いから今川義元、織田信長、武田信玄、豊臣秀吉とバケモンだらけの戦国を生き残ってきた家康は伝説で神々しい存在でした。※前田利家も十分にバケモンですが。

豊臣政権下の武将の多くは1555年~1565年生まれの武将が多く、20代を迎える頃には戦国時代も終わりに近づいてきた頃です。彼らも現代では猛将と言われていますが、戦国時代の織田信長の覇道を生き残ってきた徳川家は特別な存在だったのでしょう。

前田利家が家康に「貴公は腹をくくるしかないかもしれん。」と言いましたが、これは「(天下を治めると)覚悟を決めるしかないかもしれん。」と読み取れますね。こういう前田利家の演出はあまりないので新鮮でよかったです。ギャラの関係もあったと思いますが、丹羽長秀、前田利家を序盤で登場させてあげて欲しかったですね。


次は三成挙兵から伏見城の戦いですね。
鳥居元忠の忠義がどの様に描かれるか楽しみです。

次回の41話も楽しみです!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?