2023年 大河ドラマ「どうする家康」17話を見てみた。
こんにちは。めぐたんと申します。
都内でサラリーマンしている歴史が好きな30代男性です。
歴史上の人物で徳川家康が一番好きです。
2023年 大河ドラマ「どうする家康」の第17話が放送されました。
本日も感想を投稿したいと思います。
1.どうする家康17話
前回の16話で武田信玄との決戦を決意した家康。
決戦前に家康と家臣達は各々戦に向けて備えます。
武田軍は遠江に侵攻してから凄まじい勢いで家康方の城を落としていきます。堅固で知られる高天神城もあっさりと落城してしまいました。
また家康家臣の本多忠真、本多忠勝らも局地戦で武田軍と衝突し武田軍の強さを身をもって体感します。
戦が武田軍の優勢で進む中、家康の叔父の水野信元が家康のもとを訪れ
信長からの伝言を伝えます。
1. 浜松城にて籠城し武田軍を迎え撃つこと
2. 3000人の援軍を信長から家康に派遣すること
武田軍を迎え撃つのにさらなる援軍が欲しい家康は
信長と密談して5000人の援軍が欲しいと伝えますが、信長も浅井、朝倉と戦の最中で援軍を3000人までしか送れず、ひと月で浅井、朝倉との戦を終わらせるからそれまで持ち堪えるように言われます。
家康は信長との密談後に岡崎に立ち寄り、妻の瀬名に自分に何かあっても強く生きることを命じます。浜松城に戻った家康は浜松城に籠城して信玄を迎え撃つことを決意します。
武田信玄が浜松城の周辺の城を落とし、浜松城の眼前まで迫りました。
いざ戦闘開始・・!と思いきや、武田軍は浜松城を無視し進軍します。
家康は憤慨し、家臣と織田の援軍の佐久間、水野両将と軍議を開きます。
軍議では、籠城すべし、打って出るべしと意見が別れます。
そのころ遠江の領地では武田軍の間者が領民に「家康が武田軍に恐れをなして領地を素通りさせた」と風説を流していました。
領民の心境はこのままでは家康から離れてしまいます。
領民の中には家康から放免された井伊虎松の姿もありました。
軍議で意見が別れているなかで、家康が「武田軍になくて我が軍にあるものは地の利だ!」と発言します。
家臣の夏目吉信も地の利を活かした作戦を提言します。
最終的に浜松城から出撃して、先の道の狭い崖地から武田軍を急襲することに決まりました。
家康たちは浜松城を出撃して武田軍に迫ります。
三方ヶ原の台地に到着したところで、家康たちが眼にしたのは完璧に布陣された武田軍の姿でした。
待ち構えていた武田軍に徳川軍はなす術がありませんでした。
夜になり家康の討ち死にが岡崎城の瀬名たちに伝えられました。
また三方ヶ原に駆けつけた井伊虎松は、家康の鎧である金陀美具足の遺体が運ばれるのを目撃したのでした。
2.一言坂の戦い
今話では話の尺の問題で割愛されていましたが、三方ヶ原の戦いの前哨戦として史実では一言坂の戦いが発生しています。
遠江の二俣城を救援するため天竜川を渡河して救援に家康は向かいましたが武田軍の動きが予想よりも早かったため徳川軍は撤退を余儀なくされました。この撤退の際に本多忠勝はおおいに武名を轟かせました。この時に有名な「家康に過ぎたるものが二つあり。唐の頭に本多平八。」という歌が詠まれました。
3.三方ヶ原の戦い
今話では三方ヶ原の戦いまでの戦況と家康の心の葛藤が描かれました。
従来の三方ヶ原の戦いの描き方ですと、「血気盛んな若い家康公が武田軍の素通りに憤慨して三方ヶ原の戦いに誘い出され完敗する」描かれ方が主流でした。今作の松潤家康は血気盛んとは反対な弱気な家康像です。信玄の素通りには憤慨したけど勝算があったうえで三方ヶ原に乗り込んだかたちになります。また三方ヶ原の戦い自体は瞬殺で終わってしまいましたが、次回で詳細が描かれそうですね。今回は戦闘より家康の心情にスポットを当てた回になりました。
次回は三方ヶ原の戦いの細部が描かれますね。
来週の第18話も凄く楽しみです!