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なぜ私が占い師を信用しなくなったのか

かなり決めつけたタイトルをつけてしまったが
半分本当で半分違っている。


ただ、そう思ったことはあるし
それがきっかけで私に変化が起きたのは
間違いない。


私は子供の頃から
人の気持ちや目に見えないことに非常に興味があり
星占いやタロットなどを遊びでやったりもしたし
お小遣いをためて
占い専門のお店に足繁く通ったりもした。

そんな自分の心を探る活動は成人を迎えるまで
なんとなく続いたのだけれど
私が腹の底から納得できる話をしてくれる
占い師には残念ながら出会うことができなかった。


あの人は当たるよ!
風の噂を聞きつけては占いを受けに行ったりもしたが
私が欲しいのはそういうのじゃない。
ちがう、ちがう。


自分が何を欲してるのかも
うまく言語化できないまま
私は出会う占い師さんたちにがっかりするのだった。


ある時占い師さんと話をしていた時に
私はこんなことを思ってしまった。


(それってあなたの価値観ですよね?)


それまでずっと自分の気持ちを代弁してくれるかもしれない
そう思って、いろんな占い師さんを渡り歩いていたのだけど
ぷつっと糸が切れたように
私はもう占いに行くのをやめようと思ったのだ。


占い師さんとはいえ
その人が話すこと、その人の価値観、人生観
それってその人がどう生きてきたか
どう思ってるか、人間性とか、知性とか
いい悪いも含めた評価も全てその人次第じゃね?


そんなことを思ったのだ。


その人が生きてきた過程で
例えば「病気」が悪いことだと思ってるなら
占い結果で「病気」が出た時は
きっと「悪い結果」として伝えるし


「離婚」をよくないことだと捉えてるなら
バイアスがかかった状態で占い結果を伝えるだろう。



ふとそんなことを思った時に
あ、私を理解してくれる占い師さんって
いないのかも。偏見なく、自分の価値観は置いておいて
フラットに物事を見てくれるそんな人って
いないのかも。

そんな風に思ったのだ。
(いるかもしれないから、今はそうは思ってないけどね)


そして私が何をしたのか?


自分で独学で学び始めたのだ。
学び始めて20年が余裕で過ぎた。


東洋占星術
西洋占星術
タロットカード
オラクルカード
心理学


色々と学び始めて思ったことがある。


個々にそれぞれやはり生まれ持った「たね」はある。

しかし、どういう土壌で
どういう日照環境で
栄養、水、気候、様々な要因で育てるかによって
如何様にも結果が変えられるということだ。


そしてそれは全て自分が選べるということも。



生まれ持ったたねは変えられないが
それをどう育てていくか?は
自分で決めていける
色々と学んだ時に私はそれを確信した。


金運、人間関係、仕事運、恋愛運、色々あるが
それをどういう風に花を咲かせるのか?は
自分で決められるのだ(生まれ持ったものはあるけど)


大切なのは、等身大の自分。
人と比べることなく
自分の人生がどういうシナリオなのか
自分の取り扱い説明書を占いで明らかにすればいいと思った。



植物でもそうだけれど
たねを植える時期を間違えれば芽は出ないし
相性の悪い植物と一緒に植えると枯れてしまう
水をあげ過ぎれば根が腐ることもあるし
ちょっとしたことで
思いがけない成長を遂げる場合もある。


その自分を最大限どう生かすか?
は占いでわかる。


だから私は自分を見る場合でも、第三者に頼まれても
未来を見ることはしない。
ただ、こういう未来を引き寄せたい時に
どう動いたらいいか?というのは占いでは見る。


私と同じような考え方をした占い師さんには
まだ出会ったことがないけど
それぞれの個性に寄り添ってくれる
そんな占い師さんが増えたらいいなと、
個人的な願い。


よくわからない社会の雑音を耳に入れて
自分をどんどん見えなくして
誰かと無意味な比較をし
あれがないこれがないと
大切なものを見失い疲弊する人が
自分の個性を大切にできるように
そんな手伝いがしたいと常々思っている。

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