見出し画像

タンスに文句を言える人、言えない人

タンスの角に足の小指をぶつけた時に取る行動に、その人の思考回路が垣間見れると思う。

私がそのようなことに見舞われた際は、
(注意しない私のバカバカバカっ)
と真っ先に思う質だ。自責の念が強い。


ある人は、

(タンスがこんなところにあるせいだ)

などと他責に至るかもしれない。



人というものは、自分にとって不利益なことが降りかかった時、

意味や原因を探り、排除したいと思うのではなかろうか。
全く排除したくない、不利益もっとほしい、不利益万歳🙌と思う人もいるだろう。
…万人の思考を掬い取っていたら何も話せなくなるので、少数派の方々のことも尊重しつつ、
不利益が重なることは大多数の人が受け入れ難いものだという前提で話を進める。



アクシデントに見舞われた時、怒りや悲しみが生まれる。
そのネガティブな気持ちを自分の中で消化しきれず、
矛先を向ける場所を見つけることで癒されることがある。
タンスの角の例で言えば、矛先になり得るのは

・不注意な自分
・タンスの置き場所を決めた他人
・タンスそのものの存在意義
・まつわる全て

…など、何かしら浮かび上がるはずだ。
そしてそこに感情を吐き出し、ぶつけることで少しは落ち着く。


読者の皆様は、結局私が何を言いたいのかわからないと思っていると思うので、もう少し説明を続ける。

タンスは無機質なので感情や気持ちがない(だろう)。
なので、相手の事情などは鑑みずにいくらでもこちらの意のままに感情をぶつける事ができる。

しかし、相手が人間となると厄介なのである。

人間社会には、数えきれないほどのさまざまな事情が蔓延っている。全ての人の事情を汲んでいたらそれだけで人生が終わってしまう。大切な人のことを考えるだけでも時間が足りないというのに。



他者に理不尽な言いがかりを受けたとしよう。そのおかげで自分のなかにネガティブな気持ちが生じる。無感情ではいられない。

私は自責に傾きがちなので、
(こう言われたのは、自分がよくないことをしたせいだ)とか、
(次は言われないように気をつけなければ)
と自分に矛先を向けてネガティブな気持ちを鎮めることが多い。


一方、他責思考な人の中には
(偉そうに言ってきやがって何なんだ)
(そっちだってミスするくせに)などと、相手を責めることもあるだろう。

そんな中、『相手の事情』ということまで入ってきてしまうとまた複雑になる。

私の身近で、感情のままに、トゲのある物言いで注意してくる人がいる。
そのような言い方をされると、話が半分も頭に入ってこなくなる。
(なにもそんな言い方しなくても・・・😅)という気持ちに支配されるからだ。
私のヘラヘラした態度が余計に相手の感情を逆撫でしているのだと思われるのだが…

彼女は、精神的な落ち込みなどがあり、日常的に薬を服用しているとのことだ。風の噂で聞いた。それはとてもとても気の毒に思う。
しかし、それを聞いたら私は彼女から理不尽を被っても何も言い返せないではないか。フェアではないじゃないか。
同じリングに上がってもらえれば闘えるのだが。

ボンバーマンのみそボンのように、安全圏から爆弾を投げられている感覚だ。

別に、いいけどね。言い返してもどうにもならないことも学んでいるので、ヘラヘラしてやり過ごすということで落ち着いた。
何度も言うように、それが相手をイライラさせる要因でもあるのだが。



つまりだ。

理不尽や不利益があった時に他責できるというのはとてもフェアで、健康的なのである。




じゃあね。

みなさまに幸あれ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?